| 令和7年10月19日
「僕はそう思う」人々 カチンと来た |
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SNSを見ていたら超絶変な動画が出てきた。
それがこれだ。
この人については以前から、何言ってんだこいつ、と思っていた。
色々喋っているうちの中には同意できるちゃんとした事を言う事も勿論有る。
けれど、多くが「何言ってんだこいつ」なのだ。
どういう事かと言うと、歴史的経緯やら専門知識やらを持ち合わせていない状態で、
ただ単に「僕はそう思う」という事を言っているのだ。
極端な話で例えると、戦争はいけない事だから戦争をしない為に軍隊を無くせば良い、
という様な話をする様なものだ。
僕はそう思う、というだけで、現実も本質も実態も知らないまま喋ってしまう。
人類は大昔から戦争をしてきた。人類の特徴と言っても良いくらいだ。
それをどうやって無くすと言うのか。
軍隊をゼロにすれば戦争をする事が出来ないかもしれないが、
じゃあ一体どうやってゼロにするというのか。
実際にやろうとすれば現実的には無理な話だ。
何も知らないまま「僕はそう思う」話を、
上から偉そうに得意になって喋っている姿を見ると、
なんでこんなにバカなのかと、本当にカチンと来る。
この人にはいつもカチンと来ていて、この人の動画など見る気もしないのだが、
この動画を見て本当にカチンと来てしまった。
何を言っているのだろうか。
この人は天皇と言いながら、国民の代表だ、などと
総理大臣か何かについて喋ってしまっている。
要するに天皇とは何かを知らないで喋っているのだ。
天皇と言う存在を敬愛する自分としては本当にカチンと来た。
天皇は名字が無いなどと言っているが、名字が有る必要など無いのが天皇だ。
どこの誰だか区別する為に田中だの佐藤だのと名字を持つのだ。
どこの誰だか区別する必要などないのが天皇だ。
さて、日本国憲法では天皇を国民統合の象徴などと言っている。
けれど、そもそも日本国憲法はわずか80年前に出来たものだ。
天皇について、日本国憲法が規定した訳では無く、
2000年前から有るものなのだ。
憲法や法律は守らなければならないものだが、けれどこういうものは後付けなのであって、
それ以前から有る文化風習慣習価値観が大元なのを忘れてはいけない。
日本国憲法によって天皇が作られた訳では無い。
ということで、以前書いた日記と同じような事を書く事になるので、
この後は以前の日記をどうぞお読みください。
偽善と欺瞞の世の中 教養の無い人々
https://r4.quicca.com/~kawai/diary/01424.html

何も知らないアホなのだろうか まともじゃない人達
学歴が国を亡ぼす なぜこんなにアホなのか
洗脳から解けない思考停止 国ヲ売ル奴ラ
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マスターもどうぞ 客が店に気を使う |
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自分はあまり酒を飲まないので、飲みに行く事が殆ど無い。
でも、頑張って仕事をしていた頃は、付き合いで良く飲みに行ったりもしたし、
20歳頃には飲み屋さんでアルバイトをしていた事も有った。
マスターに、売り上げを上げなさいと言われて、好きでもない酒をたくさん飲んでいた。
仕事だと思うと、自分でもびっくりするくらいたくさん酒を飲めたのだった。
随分昔の事で、今時の飲み屋さんではどうなっているのだろう、と、気になる事が有る。
飲み屋さんと言っても、居酒屋の様な店ではなく、
カウンターの中にママやマスターが居る様な感じのお店の事だ。
自分の認識では、そういう店に飲みに行ってお酒を注文したら、
「マスターもどうぞ」というのがしきたり、と思っていた。
なので、自分が一杯飲むとマスターの分も合わせて2杯注文する事になる。
これが礼儀というか、マナーと言うか、当然の事だと思っていた。
さて、最近はどうなのでしょう。
店の人が同席する場合はそうなるだろうけど、カウンターの中に居る場合は、
今でもそうしているのだろうか、、、。
このやり方が良いのかどうかは良く解らないけれど、
お店に対する一定の敬意とか、自分は客であっても店側に気を使う、という事とか、
一定の美徳では有るのではないだろうか。
随分昔は色々なモノを売っている小売店でもなんでも、個人商店だったりして、
買い物をする時には多少は気を使ったりしたものだった。
買いたいモノは一つだけであっても、
「これください、あ、これだけじゃ申し訳ないからこれも一緒にください」
なんて事を言ったりしたものだった。
それが小売店は無機質になり特に気を使う必要性を感じないものになったので、
今どきはそんな事を言う人はもう居ないのだろうと思う。
それでも、お互い労働者であって、同じ人間だ。
商売をやっているのだから、自分が客なら少なくとも
相手に損をさせるような事はしないのが人の道、というものではないだろうか。
昔は喫茶店で何時間も居座る、という時には気を使って追加注文をしたりしたものだった。
けれど、喫茶店もどんどん無機質になって、そんな気を使う必要を感じないものになってしまった。
なので、それしか知らない若い人は、
「なんで客が店に気を使う必要が有るのだ?」と思うかもしれない。
まあそうだろうが、少なくとも迷惑な客にならない様に、
くらいの気は使ったほうが良いのではないだろうか。
店側からどう思われようが構わなくても、一緒に行った人からダメな奴だ、
と思われるかもしれないし、人に気を使う事が出来ないのはやっぱりよろしい事ではないと思う。
買い物の形態が無機質になったり、ネットになったりして、
人に気を使う機会が減ってしまったと思う。
クソ安いものを1個だけでも、ネットなら平気で買えてしまう。
そんなクソ安いものを1個だけ買って、なおかつ「送料無料」なんていうのは、
昔の感覚で言えば、とてもとても、申し訳なくて買えたものではないのだけれど、
ネットだとそんな事も感じなくなってしまう。
他人に敬意を持つ、という事が減ってしまった世の中というものは、
やっぱり自分自身も息苦しい世の中になってしまうと思う。
昭和の頃の様に、知らない人にでも敬意を持ったり声をかけたりするのは、
人間にとって必要な事ではないのだろうか。
歴史は行きつ戻りつするもので、今の反動が起きてまた有機的な世の中になる事も有るのだろうか。
その為には、道徳教育の様な事もとても必要になって来ると思う。
核家族化とか個人主義とかが進んだり、教育の内容や政治の内容だけではなく、
商売をするのも人間教育のうちの一つなのだろう。
他人を押しのけて我先に利益を得ようとする様な世の中にすると、
本人たちが結局は息苦しい世の中になってしまうのだと思う。
50年とか100年とかの周期で、また暖かい、有機的な世の中が好まれる様になれば良いな、
なんて思ったりするのでした。
韓国カフェで3時間勉強して向かいの店で食事、再入店して新規注文要求された客「こんな店見たことない」
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2023/09/20/2023092080019.html

お客様は神様ではない
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