かわいひでとし日記
令和6年1月21日      当たり前の事を当たり前に      戦後レジームからの脱却
  
津地鎮祭訴訟をご存じだろうか。

津市の市立体育館建設の時に、着工前に神主を呼んで地鎮祭を行った事について、

政教分離に反する、として訴訟がおこされたものだ。

最高裁の判決ではこれを、憲法違反にはあたらないと判断しました。

「本件起工式は、宗教とかかわり合いをもつものであることを否定しえないが、その目的は建築着工に際し土地の平安堅固、工事の無事安全を願い、社会の一般的慣習に従つた儀礼を行うという専ら世俗的なものと認められ、その効果は神道を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められないのであるから、憲法20条3項により禁止される宗教的活動にはあたらないと解するのが、相当である。」


「社会の一般的慣習に従つた儀礼を行うという専ら世俗的なもの」との判断です。

そりゃそうだろう、と思います。

新年に初詣に行くのも、合格祈願にお参りするのも、みんな世俗的な慣習、

と言えるのではないでしょうか。

「政教分離」が必要と言われる理由は

「宗教を援助、助長、促進し、他の宗教に圧迫、干渉を加える」事がダメだということで、

日常の慣習などはそれにはあたらないということだ。

あったりまえじゃん。と思う。

自分は自然な気持ちで神様に感謝して生きている。

神社にお参りするのも自然な気持ちでやっている事だ。

任務が安全に貫徹できますように、とお参りするのは自然な事。

先祖に感謝するのも自然な事だ。

どこの神社だろうが、誰がお参りしようが、公人だろうが私人だろうが関係ない。

日本の総理大臣が伊勢神宮に参拝するのは自然なことだ。

先人への感謝を捧げる為に靖国神社に参拝するのも当たり前の事。

さらに良く問題とされるのが、いわゆる「A級戦犯」の合祀。

日本国内では既に「A級戦犯」の名誉回復が国会で決議されており、

そんなものは存在しない。

対外的にも、あれはインチキな「裁判」で決められたもので、

国際的な日本の名誉回復を勝ち取るのが我々のやるべきこと。


大声でウソを元にした批判を受けて、ひるんでしまう、というのはもう、

卒業して、誇りを取り戻すべきだ。


不条理な忖度をせず、当たり前の事を当たり前にやって欲しいと思う。

とは言うものの、例えばアメリカに、色々な事を認めさせるのは難しい。

原爆投下は戦争犯罪であり、占領政策は敗戦国の法律を変えさせた国際法違反であり、

東京裁判は事後法によるインチキ裁判で有った事をアメリカが認めて謝罪する、

というのはなかなか考えにくい。メンツが立たないからだ。

また、それらに加えて「南京大虐殺」なるものが大嘘で有る事も含めて中国に認めさせるのは至難の業だろう。

なので、正々堂々と正論を言うだけでは難しく、多少は狡賢くやらなければいけないのだろう。

ロビー活動やら裏からの多数派工作やら、取引をしていかないと難しい。

日本の外交はこういう事が下手だと言われて久しい。

現在生きている我々とその次の世代の課題なのだと思う。

その為にも、閣僚が靖国参拝をしたというだけで大騒ぎするマスコミから変えていかなくてはいけない。

マスコミを内部から変えるのは若い世代の仕事だ。

自虐史観の洗脳から抜け出して、自国に誇りを持つ様にしなければならない。



防衛大学生が靖国神社に参拝している写真

これを見てどう思うかで、洗脳が解けているか解けていないか解る気がする。

「軍国主義的な悪」という様な軍事アレルギーが出てしまうのか、

国を守る、国を愛する、というのは当然の事、と思うのか、

先人に感謝して、国を自分達で守る事は当然の事です。

「愛国心=軍国主義」という幼稚な考えはやめて現実を見るべきです。

現実に他国を侵略する国が有り、それから自国を守る必要が有ること、

軍隊を持たない国は殆ど無いこと、

非武装中立は非現実的な絵空事であること、

戦争が起こるのは軍事バランスが崩れた時であること、

一国だけでは守り切れないから集団的自衛が必要なこと、

これらの現実をしっかり見なくてはいけない。






ネトウヨ      保守とは

無知蒙昧      自分は誰に守られているのか

日本侵略      超限戦

原爆は何の為だったのか      あの戦争に対する認識

教科書をなんとかしないと      愛国心と軍国主義

専守防衛という幻想

戦争を現実的に考える



コメントなどはツイッターやメールでお願いします



@kawaihidetoshi をフォロー

 

日記のトップへ戻る

かわいひでとしホームページ

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 倫理・道徳へ
にほんブログ村