かわいひでとし日記
令和5年10月21日.     怒り狂う人々      人間性
 
10代の頃、ぼーっとクルマを運転していて人と接触事故を起こした事が有った。

自分は子供の頃はお坊ちゃま育ちで、小学校は全寮制で育ったためか、

バカ正直と言われるくらいの、本当に良い子だったもので、

これは本当に申し訳ない事をした、自分がぼーっとしていたのだ、と思い、

その人を入院させて、毎日の様にお見舞いに行っていた。

毎日お見舞いに行っていたもので、その人とも仲良くなってしまった、という思い出が有ります。

これって、誰も怒ったりイヤな気分になったりしない、とても素晴らしい事だと思うのです。

10代の頃の自分は本当に良い子だったと思います。

このケースの場合、全面的に自分が悪かったと思ったからなのですが、

相手が悪いと思うケースではどうでしょうか。

相手が悪いと思えば、上から目線で威圧的にモノを言っても良いかというと、

それでは両方が気分が悪く、怒ってしまう事になります。

たとえ相手が悪くても、こちらからは下から丁寧に話をすれば、

お互いイヤな気分にならなくて済むのではないでしょうか。

この場合、言葉だけは丁寧であっても、言い方や態度がイヤな感じだと殆ど意味が有りません。

相手を怒らせない話し方が出来る、というのは本当に凄い事で、

こういうことを「人間性」とか「人徳」と言うのだと思います。

でもこれ、例えば今自分がとてもハッピーで、るんるんだったらどうでしょうか。

特に「人徳」が有る訳では無くても、かなり丁寧な話し方が出来るのではないでしょうか。

というわけで、対立したりののしりあったりしている人というのは、不幸で余裕が無いという事でも有るのだと思います。

生活が苦しくて余裕が無い、と言う人はたくさん居ますからね。

経済が右肩上がりで、明日はもっと良くなる、と思えていれば色々な事が解決してしまうのだと思います。

他人に怒ったりする必要も感じなくなってしまうし、

少子化だの犯罪だのの問題も随分片付いてしまうのではないでしょうか。

「衣食足りて礼節を知る」というのは本当ですね。

ただ、お金が無くても幸せな暮らしは出来るものだと思います。

これもまた「人徳」と絡み合って出来るものではないでしょうか。


他人に怒ったり罵ったりするのは全員がイヤな気分になるだけで、

何の解決にもならないのだと思います。


中学生の時、クラスメートに「つっぱり」の子が居ました。

「つっぱり」というのはグレている、という様な意味で、

学生服も長ランで、学生カバンもぺったんこにして、髪の毛はリーゼントにしている番長みたいな子でした。

そして彼は仲間たちとしょっちゅう朝鮮高校とケンカしていました。

けれど彼はとても優しくて、自分の様な良い子タイプにも優しく接してくれました。

自分は全然グレてもいないし、その仲間でもないのに、

良く、彼の家に遊びに行ったりして、とても優しくしてくれたのを良く覚えています。

やっぱりこういうのって「人徳」なのだなあと思います。


よく、「老害」とか「近頃の若者は」とか、「女は」とか「男は」とか言って相手を批難する事が有ります。

見ていると、年齢とか性別とか属性とかは全然関係無い事が良く解ります。

要するに老人だからとか女だからとか、権力者だからとか、そういう事ではなく、

その人の人間性なのだと思います。

高齢者ドライバーによる事故が「多い」と報道されたりしますが、実は多い訳では無く、

報道されて目立ってしまっているだけの様です。

80歳の人でもピンピンして肉体労働をしている人もいれば、クルマを安全に運転している人も居ますし、

男性だろうが女性だろうが視野が広く公正に物事を判断できる人も居ますし、

若くても人間性が素晴らしい人も居ます。

要するに属性ではなく個々の人間の問題なのだと思います。


LGBTの「活動家」と呼ばれる人達が居ます。

彼らを強く非難しているのは、実はLGBT当事者だったりします。

LGBT活動家は実は、LGBTを代表していないのですね。

要するに、排他的で、自分が一番偉いと思ってしまっている上から目線で、

攻撃的で協調性が無いから嫌われるのだと思います。

ツイッターでは毎日の様にそういうやりとりを見かけます。

私たちは差別されている! と言っているけれど、LGBTだから差別されるのではなく、

イヤな奴だから嫌われているのだ、という事を強く感じます。

そのようなリプライがLGBTの人たちから上げられているのを良く見かけます。

なので、「活動家」の言う事は決して当事者の意見を代表するものでは無い、という事はちょっと覚えておくべきです。

私たちは虐げられている! と声を出しているマイノリティの人の中で「活動家」と言われる人達は、

結局、マイノリティだから虐げられるのではなく、その人間性によるものだと、つくづく思うのです。


何かトラブルが有って、ケンカになりそうな時に事を荒立てない様にアドバイスすると、

「なんでワタシがそんなに卑屈にならなきゃなんないのよ」と言う人が居ますが、

お互いイヤな気分になるくらいなら、相手が悪くても丁寧に話をしたほうが良いと思います。

人間に大事なのは「愛嬌」なのではないでしょうか。

こういうものを備えている人をこそ、「人間性が良い」とか「人徳が有る」と言うのではないかと思います。

言っている事は正しくても、言い方が嫌味だと賛同を得られないものです。

ケンカにならない様に話が出来る人間になる、というのが、人間の一生の目標ではないでしょうか。

自分も口下手なほうなので、これは本当に自分の遠い目標でもあります。

そして、自分が幸せであれば人に対して攻撃的にならずに済むのだと思います。

きちんと仕事をして、きちんと人と楽しくつきあって、

少しでも幸せになる事が自分にも世の中にも一番良い事なのではないでしょうか。






自分の都合だけの人々      人間は俯瞰できなければならない

当然と思ってはいけないこと      法律と道徳

自分が得をする態度      人間は神様じゃない

属性というより個人差

金など有っても無くても


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