令和元年12月4日 3分、120分、 1行、10行 落ち着いて考えよう
まあ、きっとそのうちそうなるだろうなと思ってはいたが、
ニュースは見出ししか読まないとかやってると、Dupesな人間になってしまう。 野党が与党を批判したというニュースの見出しを見ただけで、 ああそうか、与党というのは悪い奴らなんだ、と思ってしまう。 有名な人が言っていたから、というだけで、それが正しいと思ってしまう。 若い子とメールをやりとりする事が有るけれど、その時いつも強く感じるのは こいつらは文章って1行までしか読めないんだろうか、という事だ。 2行以上のメール、まあ、だいたい10行から20行のメールをすると、 最初の一行しか読んでいない様な返事が返ってくることが良く有る。 まあ、そもそもメールの概念が違うのだろうとは思う。 自分にとって、メールとは「手紙」を電子化したものだ。 子供の頃良く、紙と鉛筆で手紙を書かされたし、「文通」なんて事もやっていた。 だけど今では、ラインで1行のやりとりが普通になってしまったのかもしれない。 でも、ホワイトカラーの仕事をしている人なら、ビジネスメールを書いたりもするだろうから、 メールは手紙という概念は消えてなくなったわけでもないだろう。 人と付き合う時に必要なのは想像力ではないでしょうか。 創造力ではなく、想像力。 この人はきっとこう感じるだろう、とか、こう思うだろうとか、 こう言ったら嫌な気分になるだろうとか、そういう事。 そういうことは、映画を見て、雰囲気から何かを感じ取ったり、 本を読んで行間から何かを感じ取ったりして育つ感覚なのではないだろうか。 「で、結局結論は何?」という感じで生きていると、想像力の無い人間になってしまうのではないだろうか。 ニュースを読んでも、見出しで書かれている事とは随分違う内容が書いて有る事も多い。 手紙を読んでも、この人はどういう気持ちでこれを書いたんだろうと思いながら読めば、一行の返事では済まなくなるのではないだろうか。 時々はゆっくり本を読んだり、長い映画を観たり、何も見ないでひとりで思索にふけったりしてみたらいいんじゃないでしょうかね。 ものがたり 行間、空間、時間 小津、黒澤、山田 歌舞伎は江戸時代のテレビだった ゼログラビティと現場仕事と想像力の件 |
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