かわいひでとし日記
令和7年8月15日      事実はひとつではない      大東亜戦争の評価
  
テレビのニュースで、ある地方で起こった災害、例えば台風とか、水害など、

大変な被害が出ていると報じるのを見て、その地方に住んでいる友人に連絡をする。

するとどうだろう、そっちは大丈夫なのか、と聞くと、全然なんともないよ、

との返事が来る。

結局、大災害は起こってはいるが、地域によって大きな差が有り、また、

テレビ報道は特に被害の大きい所ばかりを報道する、という事なのだ。

報道で「〇〇地方で大災害が起こった」と報じられても、

場所により、人により、時間帯により、それぞれ状況が違うものだ。

このように何かの事象について大きくまとめた評価を詳しく見て見ると、

事実はひとつではなく、いろいろな事実が有る、という事になる。


さて、「太平洋戦争」の事実は一体どうだったのだろうか。

その前に、今、多くの日本人が「太平洋戦争」と呼んでいるあの戦争は、

正式名称は「大東亜戦争」と言う。これは国会で決議された正式な名称だ。

では「太平洋戦争」とは何かというと、そう呼称するようにというGHQの命令が有ったものだ。

GHQの命令が今でも使われてしまっているのだ。

大東亜戦争の「事実」は一体どのようなものだったのだろうか。

戦後の日本人の多くは、「日本による侵略戦争」の様に教えられて来た。

けれど、これも事実はひとつではない。

侵略戦争という評価とは真逆な「アジアを開放した戦争」という評価も有る。

そしてどれも、それぞれが事実であって、どれか一つに集約できるものではない。

だから、「侵略戦争」という評価だけを採用するのは間違っている、と言えるのではないだろうか。

結局これは「自虐史観」と呼ばれる、戦後のGHQの指導によるものがずっと続いてしまった結果なのだろう。

東京裁判という、裁判と言う名に値しないインチキな会議によって、一方的に日本が悪者にされてしまった結果なのだ。

ただし、「侵略戦争」という評価自体が間違っている、というのではなく、

それも一つの事実ではあるが、他にも事実が有る、という事なのだ。

歴史上いつでも「敗戦国」は一方的に悪者にされるものだ。

そして、東京裁判というものはまともな裁判ではなかった事は認識しておく必要が有る。

しかしここで困ってしまう事が一つ有る。

それは、サンフランシスコ講和条約において、日本は東京裁判の結果を受け入れる、

とされた事だ。

だから今更あれはインチキだったとは言いにくいのだ。

けれど、歴史上の事実は事実であって、東京裁判はまともな裁判ではなかったのも事実だ。

そして問題なのは、戦後の日本ではあまりにも自虐史観が浸透しすぎてしまった事だ。

そして、「日本は昔悪い事をした」と、誰もが普通に思い込んでしまっている事だ。

けれど、事実はひとつではない。

あまりにも単純に決めつけて考えるべきではないのだ。

そして第二次世界大戦前と後では、世界は大きく変わっている点も考慮する必要が有る。

戦前は弱肉強食の時代だった。白人が有色人種を支配するのが当然の時代だった。

強いものが弱い者を侵略して略奪するのが普通の時代だったのだ。

そして戦争をするのも通常の選択肢の一つであり、悪ではなかった。

戦後の世界は侵略戦争は悪である、という世界になっている。

戦前と戦後を混同して考えるべきではないのだ。

何事にも、良い部分も有ったが悪い部分も有ったわけで、事実はひとつではないのだ。

東京裁判でただ1人、反対意見を述べたのがインドのパール判事だった。

「平和に対する罪」などというものは事後法であり、無効であるという意見だった。

自分は毎年夏に1人静かに(8月15日を避けて)靖国神社に参拝している。

その靖国神社の中の一角に、パール判事の碑が静かに立っている。


戦争の評価というものは簡単ではない。色々な事実が有るからだ。

例えば特攻隊についての評価はどうだろうか。

「愛国者」「犬死」「バカな行為」など様々だ。

作戦としては最悪のものであった事は確かだし、ただ単に人命を無駄にしただけとも言える。

けれど、みんなが行くんだから自分も行かなくてはいけない、

日本を守る為に行かないといけない、と思って飛び立っていった若者たちの気持ちを思うと、

とても否定的な意見を言う気持ちにはなれない。

そして、「A級戦犯」なるものについても同様に、一方的な評価には反対する。

東条英機が悪魔のような大悪人だった訳ではないのだ。

強い国が弱い国を支配するのが当然であった世界において、

戦争というものが通常の手段の一つであった世界において、

日本をアメリカから守る為に行動した、という事なのだろうと思う。

ところでこの「A級戦犯」という言葉について勘違いしている人が多い。

「A級戦犯」が「一番悪い奴」という意味ではないのだ。

「A級」はランク分けではなく、単なる分類だ。

そしてそれに含まれるのは当時の総理大臣などの指導者たちだ。

戦勝国が敗戦国の指導者を死刑にした、というだけの事なのだ。

日本人から見れば、当時はみんな良かれと思ってやった事なのだろう、

その人達の英霊に祈りを捧げる事に違和感など全く無い。

ただただ哀悼の気持ちを持つのみだ。

東条英機は悪人の様な評価がつきまとう事が多いが、これも事実はひとつではない。

ユダヤ人難民に対してドイツに遠慮する事無く、非常に人道的な処置をした人でも有る。

そういう訳で、靖国神社に「A級戦犯」が合祀されたからといって、

「A級戦犯」も含む英霊に対する気持ちはなんら変わる事は無い。


そんな事を踏まえた上で、日本保守党代表 百田尚樹氏の談話を読んで欲しいと思う。


『戦後八十年に寄せて《談話》』
https://hoshuto.jp/80th-discourse/





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