かわいひでとし日記
令和6年11月29日.     頭が悪くなる方法      思索する精神
 
何十年か前、まだテレビというものを見ていた時に思った事が有った。

バラエティ番組などでタレントが喋っている言葉を字幕で出す、

というのが良く有るのだけれど、あれ、ついつい読んでしまう。

これってもしかして、頭悪くなるんじゃないのか? と思ったのだ。

人が話しているのを聞く時は音声で耳から脳に行って理解するのだが、

それに文字で補助をしてしまうというのは良く無い事なのではないか。

昔の人が頭が良かったのは、テレビなど無く、

ラジオを聞いていたからなのではないだろうか。

試しに字幕が出ても読まずに耳だけで聞いてみて欲しい。

ちょっと脳の使い方が変わる感じがするのではないだろうか。

そんな訳で自分はいつも、Youtubeの政治系番組は観ずにイヤホンで聞いている。


そういえば随分昔の事だけれど、「文通」という事をやっていた。

遠くに住んでいる友達は勿論、雑誌の投稿欄などや「ペンパル募集」

なんていうものが有って、手紙で知り合い、手紙で会話をしたりしていたのだった。

ペンパルというのは手紙でやりとりをする文通友達の事だ。

これは相当古い話なのだが、メールもネットも無かったし、

電話は有ったが長距離電話はとても高額になるのだった。

だから手紙を使うのだった。


手紙を書くというのは実に想像力を成長させるものだ。

書いて有る文面から情景を想像したり、書いた人の心情を想像したりする。

そして返事を書く。書いても相手に届くまで数日かかり、

返事が来るまでさらに数日かかり、早くても10日くらいの間隔が開くのだ。

もう届いたかな、もう読んでくれたかな、読んでどう思ったかな、と想像する訳だ。

時間がかかる事で色々な想像や思いが生まれて来る。

こういう事をしている人間は、想像力や思いやりの心が育まれると思う。



手紙というものはインターネットが出来てからメールなどになった。

けれど、メールなどは昔の手紙とは全然違う。

それでも自分がインターネットというものを始めた30年くらい前は、

まだメールは手紙の代わりという感覚が有ったものだった。

仕事から帰宅してパソコンを立ち上げてから初めてメールを読む事になるからだ。

今はスマホで殆どリアルタイムみたいになってしまっている。

相手からの文面を見て、気持ちを想像したりして返事を書き、

相手がそれを読むまでの間には時間差が有るのだ。

その時間差が心を温める。

自分は年齢の割には20代、30代の人間と良く関わるほうなのだが、

若い子とのやりとりをしていて、疑問に思う事が良く有る。

メールでもLINEの様なものでも、殆どの若者がメッセージは一行ずつだ。

一行ずつやりとりをしていると、知らない間に1時間くらいはすぐ経ってしまう。

それでもなんだかそのほうが手っ取り早い連絡方法だと思っている様で、

1時間を無駄にした感覚は無い様だ。

そもそもスマホで一行ずつ連絡をする、というのは、

業務連絡みたいな事なら良いかもしれないが、

人間同士のコミュニケーションとして、ちょっとおかしい。

予測変換も出て来るので自分の言葉にならない、だからあまり考えない、

ゼロ100みたいな考え方になってしまう、自分を小出しにする、

「行間を読む」様な気持ちの使い方がとても少ない、など、、

頭が悪くなるよなぁ、と思う。

自分は今でもメールなども全てパソコンでやっていて、

帰宅してパソコンを立ち上げた時にメールをゆっくり読んで、

ゆっくり考えて返信をしている。

メールは一応、スマホにも転送される様にしているので、

急ぎのものはスマホから返す事も出来る。

なんというか、人間同士の付き合いにはもっと、

精神というものが介在するべきだと思う。



さて、自分はゲームというものをやらない。

それは有る時、きっぱりやめようと思ったからだった。

あれはスーパーファミコンを使っていた頃だったので、もう何十年か前の事だ。

毎日ゲームに熱中してしまっていた。

けれどある日、ふと思ったのだった。

自分はなんと時間を無駄に使っているのだろう、と。

それで、きっぱりやめる事にしたのだった。

それ以来、ゲームはやっていない。

ゲームは人生の訓練になる部分もほんの少し、多少は有るかもしれないが、

大部分は現実とは違うものだ。

また、シューティングの様なゲームだと殆ど考えるという事が無い。

それでいて思いのほか長い時間やってしまう。

これは本当に時間の無駄だと思うのだ。

脳の訓練にでもなるのであればまだ良いけれど、

人間としての考え方や心を育てるという事は殆ど無いのだ。

さらに気に入らないとリセットしてしまったりもする。

これでは人間として、やる意味は殆ど無く、むしろ時間の無駄なのだと思う。



電車に乗っていて、周りを見渡すと今では殆どの人がスマホを見ている。

SNSだったりゲームだったり動画だったりする。

自分はスマホには懐疑的な人間なので、あまり使う事が無い。

なので、電車の中でもスマホを見る事は殆ど無く、考え事をしている事が多い。

スマホを見るより考え事をしたほうが遥かに良いと思うのだ。

何を考えるか? それは実に様々だ。

この人って、たぶんこんな生活をしていて、こんな性格の人なんだろうな、

なんて想像してみたり、景色を眺めて何かに気が付いたり、

今日仕事が終わったらあれをしてこれをして、と考えたり、

人間ってどうしてこんなにバカなんだろうと考えて見たり。

脳を使って心を動かして何か考えていたほうがずっと有意義なのではないだろうか。

考えるのではなく、何かを読むのも良いかとは思うけれど、

読むというのは実は受動的な事で、

自分であれこれ組み立てて考えるほうが良いのではないだろうか。

もちろん、何かを読んで、それについてあれこれ考えるというのは良いだろうと思う。


道を歩いていると、歩いている人の多くがスマホを見ながら歩いている。

歩いて脚を使っている時は脳の働きが良くなるのだと言う。

だから、歩く時は何かを考えるととても良いのだ。


ということで、思考が停止している時間というのは、とても無駄でもったいない。

なるべくいつも、色々な事を考えている様にしてみたらどうだろうか。




仕事時間中は仕事に熱中し、仕事が終わってからプライベートな時間だ。

仕事時間中にプライベートな事を考えすぎていて、

仕事が上の空になっている状況を良く見る。

両方きちんと出来るならそれでも良いかもしれないが、

どうしても上の空になっている人が多い様に思う。

昔なら考えられないような失敗をする会社などが有る。

寝坊して遅れた、とかいうレベルの事ではなく、

ちゃんと仕事に熱中していれば注意するだろうことすら注意していないような

ばかみたいな失敗をするのを目にする。


なので、プライベートなメールというものは、仕事が終わって帰宅して、

パソコンをONにした時に見るほうが良いだろうと思う。


みなさん、もっともっと、思索の時間を持ったほうが良い。

歩いている時はスマホを見ないで空を見上げてみるほうが良い。

自分で考え、自分で組み立て、相手を想像し、相手を思い、

精神を活発に使って生きる様にしたほうが、ずっと良いと思う。

知識よりも学力よりも、教養を身に着けたほうが良い。


スティーブ・ジョブズは自分の子供にipadなどを使わせなかったという。

子供の成長に良く無いと思うものを作って売ってるって、どうなのよ。


オーストラリア、16歳未満のSNS利用禁止案可決 世界初






テキトウに対処して壊れてゆく      仕事と向き合わない人々

きちんとした人々      デジタル化


教養の無い人々      天井の上が見えない人

精神の風が粘土の上を吹いてこそ、人間は創られる



コメントなどはツイッターやメールでお願いします



@kawaihidetoshi をフォロー

 

日記のトップへ戻る

かわいひでとしホームページ

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村