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令和6年10月27日 30歳までに大人になる 正しい愛情 |
科学技術などが進化すればするほど、人間はバカになっている様な感じがする。 昔の人はなんでこんなに聡明だったのだろうと感心する事も多い。 現代は昔と違って、道徳的にも政治的にも制度的にも様々な制約も有って、 昔の人の様にトップが強い決断などをしにくくなっているのは確かだけれど、 それでも昔の人の一を聞いて十を知る能力の高さには感心させられる事が多い。 よく「原始時代」などと呼ばれる時代を思うと、 まるで人間が猿に近かった様な思い込みをしてしまう事が有る。 そういう思い込みによってなんとなく、古代の人間は現代の人間より 知性が低かった様に思い込んでしまう事も有る。 けれど、例えば縄文時代の人達の知性の高さには驚かされる。 様々な遺跡や遺物を見ていて強く感心させられる。 また、以前「古事記」を読んでいて これを書いた人はなんと教養が高い人なのだろう、と強く感じたものだった。 稗田阿礼が凄いのか太安万侶が凄いのか解らないが、 読んでいて本当に高い教養を感じる。 中世や近代の日本人リーダー達の教養の高さにも驚かされる。 昔は15歳で元服していたのだった。 現在は18歳とか20歳とかだ。 日本の歴史上最大の国難だった元寇の時のトップは北条時宗、 当時18歳だったという。 勿論側近がアドバイスしたりなど色々有っただろうが、 なんだかんだ言って、昔の人は大人になるのが早かったと思う。 さて、昔と比べて現代はやはり、大人になるのが遅い様に感じる。 それは社会の建付けや政治や制度による部分も大きいと思うし、 また、子供を保護し過ぎて責任を取らせない事も多い為で有る事も感じる。 先日、日記に「人間で一番バカなのは20代の男だ、という話が有る」という事を書いた。 https://r4.quicca.com/~kawai/diary/01317.html 20代の時の自分も含めて、どうしてここまでバカなのだろうとあきれ返ったりする。 でもまあ、しょうがない。そういう社会になっているという事も有る。 なので、妥当な線として、せめて30歳になるまでには きちんと大人にならなければいけないだろうと思う。 30歳まで余裕が有ればなんとかなる人が殆どではなかろうか。 さて、ほんの数十年前まで、日本では親とか先輩とか上司とかは怖い存在であって、 命令されたら従わなければならない世の中だった。 けれど今はそんな事すら「パワハラ」とか「ブラック」とか言われてはばかられる様になってしまっている。 けれど、昔も今も若い人間は未熟で有る事に変わりはないのだ。 若い新入社員が 「なんで自分が電話を取らなきゃならないんだよ、上司が取ればいいじゃん」 とか言っているのを聞くと、遅くとも30歳になるまでにはきちんと大人になってくれ、 と思わずにはいられない。 そのことを書いたポストのコメント欄には様々な事が書かれているが、 概ね「経験を積んで勉強をするのが若者に必要な事だから」 電話を取るだのなんだの、いろいろな事をやりなさい、という事だ。 若い時って、自分が「おっさん」や「ジジー」になるとは夢にも思っていないものだ。 だが、その時は意外と早くやって来る。 だからせめて30歳になるまでにはきちんとした社会人になっておきましょう。 その為には経験を積む事です。 親とか上司とかに色々な事をやらされるのは、実はかけがえのないほどありがたい事なのだ。 若い時は自分からやろうとは思わないのだ。 だから半ば強制的にやらされるというのは本当に有りがたい事なのだ。 半ば強制的にやらされる、と言えば学校の部活もそうだった。 恐い監督、恐い先輩が居てイヤでもやらされる。 けれど実際には、キツい運動などそうでもなければ出来るものでは無いのだ。 なので部活というのも非常にありがたいものだと思う。 昔の映画で「カラテキッド」というのが有った。 空手のマスターの所に習いに行った少年が、来る日も来る日も掃除ばかりさせられ、 一体いつになったら空手を教えてもらえるのか、と不満に思う。 けれど実は掃除の動作ひとつひとつが空手の練習になっていた、というオチだ。 勿論映画なのでデフォルメされているのだけれど、要するにそういう事なのだ。 未熟な人間には、半ば強制的にやらせる、とか、強く叱る、とかが必要なのだろうと思う。 プロの人は勿論、プロではない人でピアノがとても上手で Youtubeなどで公開している人達が居るが、 あの人達はどうしてピアノをあれだけ上手に弾けるのだろうか。 彼らが言うには、子供の頃、泣いて嫌がるのにきつく叱られてピアノの練習をさせられた、 と言っている。 そうなのだ。そうでないとピアノは上達しないのだ。 だから彼らは子供の頃叱ってくれた親にとても感謝しているという。 そういう事なのだ。 では子供が泣いて嫌がっているのに強く叱ってやらせる親のほうの気持ちはどんなものだろう。 親の趣味や考えを子供に押し付けるべきではない、子供の考えを尊重するべきだ、 という事を言う人も居るが、 そもそも子供に考えなど無いのだ。有っても「好き、嫌い」程度の事なのだ。 子供は全部大人たちから影響を受けているのだ。 そして、子供は未熟なのだ。 親の単なる感情や悪意でない限り、子供の為になるからという理由でやるのであれば、 親の考えを押し付ける事や強く叱る事や強制的にやらせる事は必要な事でも有るのだ。 これは親ではなくても、先生や上司であっても同様だ。 本人の為になるから、本人が成長する為だから、という理由であればそうするべきなのだ。 そういう訳で、昔の親や先生や上司は怖かったのだった。それは愛情だ。 けれどどうだろう、最近の大人たちは。 子供から嫌われたくないという気持ちが先に立ってしまって、強く叱ったりしなくなってしまった。 ハラスメントだと批判されるのを恐れて強く指導しなくなってしまった。 これは愛情とは言えない。 さて、これに関連する事で「体罰」という事についても少し触れたい。 暴力と体罰は違う、という事だ。 お尻をぺんぺんする、というのは暴力ではないだろう。お尻という部位がポイントだ。 そして、げんこつで殴るのは暴力だが、平手で叩くのは暴力ではないだろう。 ビンタ、というのは、怪我をさせない様に痛みを与える方法だ。 平手打ちというのは相撲でもルール内の事だ。 しかしこれ、やり慣れていないとへたくそな平手打ちになってしまう。 怪我をさせない様に、痛みだけを与える叩き方、というのは練習したほうが良い。 そして、軽い痛みを与える叩き方、強い痛みを与える叩き方、 きちんとコントロールできなければいけない。 お子さんを持つ親御さんはちょっと練習しておいたら良いと思う。 別にしょっちゅうビンタしろと言っている訳ではない。 どうしても必要と感じた時の為に練習しておいても良いと思う。 強く叱られる、というのは受け取り方に個人差が有るものだ。 同じ叱られ方をしても、人によってはハラスメントだ!と言う。 これも慣れの問題だろう。いつも親から叱られていた人間は素直に 「どうもすみませんでした」と思う事が出来るのではないだろうか。 時々は叱ってくれる親を持っている事は幸せな事だ。 叱られ慣れていないと結局は自分の為にならない。 子供を持つ親としては、叱るのは辛いものだが、叱る覚悟を持っているべきだ。 子供を持っていなくてもペットを飼っている人も同様だと思う。 ということで、今20代で、親だの上司だのから色々言われて、 「っるせーなー」と思っている人は、30歳になるまでに大人になりましょう。
![]() 平等なる機会 人間は皆同じではない 卑怯な人々 人の道 教養の無い人々 天井の上が見えない人 |
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