かわいひでとし日記
令和6年7月28日      当たり前の世の中に      嵐よ過ぎ去れ
  
いわゆる「ポリコレの嵐」が吹き荒れていて、おかしな事もたくさん目につく様になった。

というより、もう既にうんざりするほどそうなっていて、

いい加減元に戻しましょうよ、という雰囲気が出ている所だと思う。


パリオリンピックの開会式を見たでしょうか。

フランスは今、マクロンという左翼政権下で、その雰囲気が如実に出ていた。

嫌悪感を感じるくらい出ていた。

トランスな人がたくさん出て来て、さらにキリスト教を茶化してしまっていたり、

マリーアントワネットの生首が歌を歌ったり、と、もう、げんなりした。

王政下にあっては暴力革命しか手段は無かったかもしれないが、

今は選挙で政権交代が出来る世の中だ、

未だに暴力革命を誇りに思っているのもどうかと思ってしまう。

が、多くのフランス国民の「国の誇り」で有り続けている様だ。

現代では暴力革命は独裁政権下でもう他に手段が無く、

最後の最後の手段であるはずで、

通常は否定されるべきものであるはずだ。

マイノリティについても、それを差別してはいけないが、

マジョリティが多数派で標準である事を認めた上で尊重するべきものだと思う。

それを標準にしようとゴリ押しするのは間違っているのではないだろうか。


さて、日本では男女共同参画とか言っていて、

例えば議員の数に女性を一定数入れる様にする、とか、

大臣に女性を何人以上起用するだとか、数合わせをする事も良く見られる。

なぜそんな性差別をするのか、と言いたい。

性別で決めるのではなく、能力や適性で決めるべきで、性別は関係無い。

そういえば、アメリカのセキュリティサービスの長官が女性で、

これはバイデンが押し込んだポリコレ人事だったと言われているが、

能力ではなくポリコレで決めるから結局大失敗を起こしてしまった。

SPに体格の劣る女性を数合わせで入れるのもおかしな事だ。

人にはそれぞれ適性というものが有る。

昔は女性というものは専業主婦が当たり前だったりしたが、

それは女性差別だからやめろ、と言うのではなく、

人によって適性は違うのだから主婦が合っている人は主婦で良いのだし、

外に出て仕事をする人はそれで良いのだし、

なおかつ多くの女性が主婦に向いているのであれば

「女性が主婦をやるのが普通」と言ったって別に良いではないか。

適性の結果なのだから。

その上で外に出て仕事をするほうが良い人はそれが当然だと言えば良いだけのことだ。


昔見たアメリカの映画とか、ドラマとか、とても好きだった覚えがある。

また、ダウントンアビーというドラマも好きだった。

昔の欧米は白人の国で、そういう文化だった。

日本人である自分でさえ、「古き良き欧米」というものが伝統文化であり、

愛すべき懐かしい文化だと感じている。

そこにポリコレの影響でイギリス貴族の役で黒人が出演するのはやっぱりおかしいのだ。

差別するのはやめましょう、というのはそう言う事ではないはずだ。

属性によって人選をゴリ押しするのは文化の破壊でもあるし、

映画なら映画自体をを、組織なら組織自体を貶める事だと思う。

この組織には女性を何割以上入れなければならない、

などという法律を作るのは本当にバカげている。

性別は関係ないはずだ。


そしてこれもまた不思議な事をやっているのが、

女子高に生物学的男性を入れる様にしたり、

男子校、女子高を廃止しようとしたりしている。

例えばトランス女性(生物学的男性)には性の対象が女性である人も居る。

さらに、悪意ある「なりすまし」も存在する。

ほんの一部のトランスの為に大多数の女性に不安と危険を与えて良いのだろうか。

さらに、男子校、女子高には特有の良さも有る。

なぜこれをぶち壊すのだろうか。


性別は二つしかない。

けれど、女性っぽい男性や男性っぽい女性が居ても何の問題も無い。

マジョリティを標準にしておいた上で少数派にも配慮する、というのが本筋だ。

生物学的男性であるトランス女性が女性スポーツに出るなどは全くバカげている。

性差による肉体的特徴が違うのだからスポーツは生物学的性別で分けるべきだ。

もしどうしてもと言うなら、トランス部門を作るのが筋だろう。

さらに、自分の性別に違和感がある事と、

思春期の一時的な不安定さとをどうやって見分けるのだろうか。

10代の子供に「治療」をしてしまって本当に良いのだろうか。

取り返しがつかない事になる危険はとても大きい。

そういう事は成人してからやるべきだ。


こういうポリコレの嵐が吹き荒れているのは何故かと言うと、

一部、本当にほんの一部の声のデカい活動家が居るからだと思う。

さらに、それを真に受けてしまう政治家や役人たちが、

「自分は良い事をしている」と勘違いしてしまっている。

或いはまた、うるさくて面倒だからという怠惰な理由でそれを行っている。

給食で子供がうずらの卵を喉に詰まらせる事故が起きた事が有った。

するとたちまち給食からうずらの卵を排除してしまった。

これなど本当に「めんどくさいから禁止してしまえ」という怠惰以外の何者でも無い。

良く噛んで食べましょうと指導すれば良いだけの事なのだ。


性別は二つしか無い。こういう当たり前の事を言えない世の中は本当に狂っている。

この当たり前の事を標準に置いた上でマイノリティも尊重しましょうと

別枠でケアするべき事だ。

当たり前の事を当たり前に出来ない、やらない、この不作為で怠惰な世の中を、

きちんと元に戻せる人がリーダーにならなければならないと思う。

こういう事はLGBTだけでなく、移民、難民などの問題についても言える事だ。

そもそも全く文化も宗教も違う人を混ぜてしまって混乱が起きない訳が無い。

同じ宗教の人は同じ宗教の人と一緒の国で生きるのが本来の姿だ。

移民を受け入れるのではなく、その人達の国に対して援助を行うのが本筋だ。

アメリカもヨーロッパも大混乱になっているのだ。

今オリンピックが行われているパリ市の中心部には移民のホームレスが野宿をし、

略奪や暴力をふるっている。

こんな事はもうやめにしたほうが良い。


自分はマイノリティだ。けれど今まで生きて来て差別されたと思った事は無い。

それは何故かと言うと、多数派が標準であって、

自分もそれに合わせておくべきだと思っていたからだ。

少数派である自分を世の中の標準にしろなどと思った事は無い。

「LGBT」などと言うが、「LGB」と「T」は性質が大きく異なる。

それを全部一緒にしてしまっている事が間違いなのだ。

世の中の「LGB」の人達は「LGBT活動家」を非常に迷惑に思っていて、

全く否定的である事を多くの人が知るべきだ。

結局、声のデカい一部の活動家が自分たちの利益の為にゴリ押しをしているだけだと、

多くの人に気が付いて欲しいと思う。

LGBTのどれでもない、いわゆる「ノーマル」な人が、

「自分は良い事をしている」と勘違いして「LGBT」の運動やレインボーイベントなどを

支援するのは「間違った善意」であり、

活動家以外の当事者にとっては迷惑な事だと気が付かなくてはいけない。

米国大統領選挙もトランプさんが勝ってくれて、

世の中を当たり前の世の中にしてくれる事を願うばかりだ。

日本の次期総理もそういう人がなってくれて、

悪法である「LGBT理解増進法」を廃止か改正をしてくれる事を願っている。












迷惑なグローバリスト      保守への回帰を願う

ヴィーガンな人々      動物は動物を食べる

ポリコレへの反動      揺り戻し

LGBとTとQは違う



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