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令和5年9月22日 マスターもどうぞ 客が店に気を使う |
自分はあまり酒を飲まないので、飲みに行く事が殆ど無い。 でも、頑張って仕事をしていた頃は、付き合いで良く飲みに行ったりもしたし、 20歳頃には飲み屋さんでアルバイトをしていた事も有った。 マスターに、売り上げを上げなさいと言われて、好きでもない酒をたくさん飲んでいた。 仕事だと思うと、自分でもびっくりするくらいたくさん酒を飲めたのだった。 随分昔の事で、今時の飲み屋さんではどうなっているのだろう、と、気になる事が有る。 飲み屋さんと言っても、居酒屋の様な店ではなく、 カウンターの中にママやマスターが居る様な感じのお店の事だ。 自分の認識では、そういう店に飲みに行ってお酒を注文したら、 「マスターもどうぞ」というのがしきたり、と思っていた。 なので、自分が一杯飲むとマスターの分も合わせて2杯注文する事になる。 これが礼儀というか、マナーと言うか、当然の事だと思っていた。 さて、最近はどうなのでしょう。 店の人が同席する場合はそうなるだろうけど、カウンターの中に居る場合は、 今でもそうしているのだろうか、、、。 このやり方が良いのかどうかは良く解らないけれど、 お店に対する一定の敬意とか、自分は客であっても店側に気を使う、という事とか、 一定の美徳では有るのではないだろうか。 随分昔は色々なモノを売っている小売店でもなんでも、個人商店だったりして、 買い物をする時には多少は気を使ったりしたものだった。 買いたいモノは一つだけであっても、 「これください、あ、これだけじゃ申し訳ないからこれも一緒にください」 なんて事を言ったりしたものだった。 それが小売店は無機質になり特に気を使う必要性を感じないものになったので、 今どきはそんな事を言う人はもう居ないのだろうと思う。 それでも、お互い労働者であって、同じ人間だ。 商売をやっているのだから、自分が客なら少なくとも 相手に損をさせるような事はしないのが人の道、というものではないだろうか。 昔は喫茶店で何時間も居座る、という時には気を使って追加注文をしたりしたものだった。 けれど、喫茶店もどんどん無機質になって、そんな気を使う必要を感じないものになってしまった。 なので、それしか知らない若い人は、 「なんで客が店に気を使う必要が有るのだ?」と思うかもしれない。 まあそうだろうが、少なくとも迷惑な客にならない様に、 くらいの気は使ったほうが良いのではないだろうか。 店側からどう思われようが構わなくても、一緒に行った人からダメな奴だ、 と思われるかもしれないし、人に気を使う事が出来ないのはやっぱりよろしい事ではないと思う。 買い物の形態が無機質になったり、ネットになったりして、 人に気を使う機会が減ってしまったと思う。 クソ安いものを1個だけでも、ネットなら平気で買えてしまう。 そんなクソ安いものを1個だけ買って、なおかつ「送料無料」なんていうのは、 昔の感覚で言えば、とてもとても、申し訳なくて買えたものではないのだけれど、 ネットだとそんな事も感じなくなってしまう。 他人に敬意を持つ、という事が減ってしまった世の中というものは、 やっぱり自分自身も息苦しい世の中になってしまうと思う。 昭和の頃の様に、知らない人にでも敬意を持ったり声をかけたりするのは、 人間にとって必要な事ではないのだろうか。 歴史は行きつ戻りつするもので、今の反動が起きてまた有機的な世の中になる事も有るのだろうか。 その為には、道徳教育の様な事もとても必要になって来ると思う。 核家族化とか個人主義とかが進んだり、教育の内容や政治の内容だけではなく、 商売をするのも人間教育のうちの一つなのだろう。 他人を押しのけて我先に利益を得ようとする様な世の中にすると、 本人たちが結局は息苦しい世の中になってしまうのだと思う。 50年とか100年とかの周期で、また暖かい、有機的な世の中が好まれる様になれば良いな、 なんて思ったりするのでした。 韓国カフェで3時間勉強して向かいの店で食事、再入店して新規注文要求された客「こんな店見たことない」 https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2023/09/20/2023092080019.html ![]() お客様は神様ではない 自分が得をする態度 人間は神様じゃない くだらない仕事を楽しくする方法 うるさい人々 人命は地球より重いか |
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