令和5年10月23日 命よりも大事なこと 死よりも辛いこと |
昔、戦争が有って、「特攻隊」というものが有った。 この戦術の是非とかの事ではなく、実際に死んでいった特攻隊員の心情について、 人によって言う事が違う。 国家や天皇の為に命を奪われた、という人も居る。 自分の家族や自分の国を守ろうと思っての事で、とても尊い事だと言う人も居る。 特攻隊員は17歳から32歳くらいまで、平均20歳くらいの若者たちだった。 彼らの遺書に一番多く出て来る言葉は「お母さん」だと言う。 この事についても、人によって言う事が違って来る。 お母さんに会いたい、お母さんと分れるのが辛い、という気持ちだ、という人が居る。 別の人はこんな事を言う。 父親と自分は男同士、何も言わなくても解るし、辛いけれど、男として頑張って来い、 という父親の目を見れば解る事だ。 けれど、母親は自分が死んだら悲しむだろうと思う。 自分が死ぬ事より、母親が悲しむ事のほうが遥かに辛い。 だからお母さん、どうか悲しまないでほしい、 自分は立派に国を守る為に飛び立つのだから、 どうか、悲しまないで、誇りに思って欲しい。 そんな様な気持ちでお母さんを気に掛けるのだ、と。 フランスの作家、サンテグジュペリはパイロットだった。 彼の時代の飛行機というものは、まだまだ信頼性の低いものだった。 彼は事故でアフリカの砂漠に不時着した事が有った。 飲み水も僅かしか無い。 いくら歩いても一面の砂漠だった。 夜になってから飛行機の部品を燃やして救援を待ってみた。 けれど、何の反応も無い。 この時、彼が思った辛さというのは、自分が死ぬ事の辛さではなく、 遠くで自分たちを心配している妻や友人たちの視線を感じるからだった。 自分はここで生きているよ! と彼らに伝えたかった。 けれど広い砂漠には彼らしか居なかった。 人間は一体何処へ行ってしまったのか。 自分達がここで生きている事を彼らに伝えたい。 僕たちは、彼らを救う為に歩き続ける。 僕たちこそ救援隊だ。 サンテグジュペリは著作の中でそんな事を書いている。 本当にそうだろうと思う。 何が辛いと言って、自分が死ぬことよりも、それを悲しむ人がかわいそうでたまらないのだ。 こういう気持ちを「尊い」と言わずに何と言えば良いのだろうか。 特攻隊は志願制だった。 志願する者を募ると、全員が挙手をしたという。 それは別に死にたくてたまらないわけではないのだ。 自分の後ろに居る人達を守りたい気持ちなのだ。 もちろん、死ぬのは怖いし、死にたくはない、だから志願したくはないけれど、 みんなが挙手をするので自分も挙手しないわけにはいかなかった、 もうこうなっては仕方が無い、という事でも有るだろう。 けれど、いずれにしろ、自分では無く、自分の後ろに居る愛する人達を守りたい、 というその気持ちが尊い事に変わりはない。 死んだ人は神様や仏様になるという。 だから自分が死んでも、靖国神社に居るから、お母さん、会いに来てください、 靖国に居るからどうか、心配しないで、悲しまないでください、という気持ちなのだ。 自分の事ではない、他人が悲しむ事が辛くて仕方が無いこの気持ち。 「尊い」と言う他は無いと思う。 なので自分はせめて、年に1回だけでもと思って靖国にお参りをしている。 やれ軍国主義だのなんだのと言う前に、まずはこの尊い気持ちに気持ちが向くのです。 A級戦犯とはなんなのか、あの戦争は何だったのか、などなど、 今までの自分の日記にも色々書いたし、今後も考えたいと思う。 けれど、先人への感謝も無く、自分を育ててくれた自分の国を嫌う 左翼思想の人達について自分が一番嫌いな所はねじ曲がった人間性だ。 日本の歴史の中には良い事も悪い事も有ったけれど、考えて見ればどれも、 まずは先人への感謝を一番強く感じるのだ。 自分が昔書いた日記に「死が二人を分かつまで」というのが有る。 人間はいつか死ぬのだけれど、愛する人と自分と、 どっちが先に死ぬほうが良いと思いますか? という内容の日記です。 相変わらず文章がとっちらかっているのだけれど、良ければどうぞ。 死がふたりを分かつまで http://www.kawaihidetoshi.cafelatte.me/diary/0060.html サンテグジュペリの「人間の土地」を紹介した動画です。 砂漠の真ん中で https://www.youtube.com/watch?v=kmj8ehoJyzs 日本に誇りを持つ 現存する世界最古の国 戦争はいけないことです 靖国参拝 戦争の記憶 愛国 |
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