出演陣の俳優のみなさんが、リアルに「在日」になりきって演じた
韓国で上映され、みんな唖然とした ほんとに日本人なの?
「チョンコー」と「ジョッパリ」の喧嘩の物語
昔の事を笑って話す。昔は俺たち、仲悪くて良く喧嘩したよな、と笑って話す。
そんな気持ちで見る事が出来た映画でした。実際に1960年代の京都を舞台にして、
昔はこうだったよな、と笑いながら見られるシーンも多く登場します。
日本人、在日に関わらず、「ツッパリ」してた奴らのリアルさは(実物を見た人間として)大ウケしてしまうのでした。アゴにマスクをひっかけた姉ちゃんとか、いた、ホントにいたんだ、ああいう姉ちゃん。ところで、なんでツッパリの姉ちゃんはマスクしてたんだろ、、、。
俺は「ツッパリ」ではなかったのだけれど、友達の「ツッパリ」から「チョンコー」と喧嘩した話なんかを良く聞いたものでした。映画の中では「チョーコー」と発音していたけれど、遠慮せずに「チョン」と発音しても良かったのではないかと思いました。だって、昔はそうだった、でも今は違うんだと笑って話せる話だとしたら、そういう悪口も言ったよな、と、そのまま言っても良いんじゃないかと思うからです。「チョッパリ」という単語も出て来たけれど、それも笑って話せる昔の話として、ほほえましく観ていました。
こういう事はみんな、出演者の熱演の爽やかさによるものだと思います。
感動する映画、演劇には皆、出演者の熱演というキーワードが有る様に思います。
ここ数年ハマった映画、TV、演劇を思い返してみると、全部出演者の熱演に心打たれている事に気が付きます。
大河ドラマ「新撰組!」 「タイガー&ドラゴン」 「誰も知らない」 「平成中村座ニューヨーク公演 夏祭浪花鑑」、「山口達也主演 坂本九物語」、、。
昔の事を笑って話すと言えば、オックス。オックスのコンサートでは、失神者続出で、歌ってる本人も失神するのが恒例になっていました。
そのオックスのコンサートシーンからこの映画は始まります。
のっけから大ウケしてしまって、昔の事を笑って話す気持ちになってしまうのです。
と、自分がそう思った事について、じゃあ実際に在日の人たちはどう感じて観たのだろうか、とも思うので、在日の人たちの感想を聞かせて欲しいとも思いました。
これが「政治」という単位になると、昔の事と笑っていてはちょっと違うという事になってしまうのだけれど、政治にはどうも期待できない気がしています。
人間一人ずつが笑って話せる気持ちになってしまわなければ、どうにもならないんじゃないかなぁと、思うのです。「靖国問題」を考えて夜も眠れず悩んでしまう事が多いのだけれど、こういう事は政治とか何とかじゃなくて、人間の気持ちが変わらないとどうにもならないんじゃないかなあと、思うのです。
予告編
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