かわいひでとし日記
令和5年月日      ボーダーライン      全体を見る必要が有る
  
あるものは時代と共に変わってゆく。

どこからどこまでが「正しい」事なのか、

それも時代によって変わってゆくものも有る。

実際には難しい問題だと思うのだけれど、

例えば、人間は自由だ、だから嫌いな奴を殺す権利が有る、

という主張は、今の時代では概ね否定されるのだろう。

けれどいつかそれが当たり前になったりする時代が来るのだろうか。

今、そいういう問題が色々と出てきている。

国境を無くしましょう、世界人類は皆兄弟です、

とか、、、、

これだって一見崇高な理想の様に見えるかもしれないけれど、

文化も風習も宗教も違う人がごちゃまぜになったらどうなるのか。

宗教による対立が起こって居たり、

移民によって国内が混乱してしまったヨーロッパの例などが有る。

日本に移民をどんどん入れろと言う人が居る。

けれど反対派はそんな事をしたら日本の文化が破壊される、と言う。

けれど、日本の文化? それがどうした、そんなもの時代と共に変わるのだ、

と言って、どんどん枠を外してしまっても良いのだろうか。

夫婦別姓についても同じ様な事が言える。

別に本人たちがそうしたいのならすればいいじゃん、と思うのだけれど、

それによって、日本の「家族」という文化が破壊されるのかもしれない。

同性婚もそうだ。そんなもん、本人同士がそうしたいのならすればいいじゃん、

と思うけれど、思わぬ落とし穴が有ったりもする。

LGBTの問題もそうだ。もうトイレなんて男女別にしないで全部同じにすりゃあいいじゃん、

となってしまって良いのかどうか。

じゃあ風呂も更衣室もそうするのか、、。

こういう問題はどこまで枠を外すのか、という問題だと思う。

今までの概念を壊す事で新しい問題が起こって来る。

江戸時代の公衆浴場は男女混浴だったと言う。

それでも問題が起きたりするので男女別になった。

それをまた混浴にするのだろうか。

日本では今まで、家、という概念が有った。

二人が結婚すると同じ姓を名乗り、家を作る。

死んだらその家の墓に入る。

子供もその家の一員であると認識して家や親を守ってゆく。

けれど外国では、結婚しても女性はその家の姓を名乗れず、墓にも入れない国も有る。

また、家を作るというよりは日本で言う「同棲」に近い形の国も有る。

お互い別の姓を名乗りながら同棲する。

また有る国では一夫多妻だ。

日本では家を作って一つのチームとなり、その一員として家を守る。

これを破壊するとどうなるのか、今までの形の問題点は何なのか、

どちらかに偏らずに公平に考える必要が有る。


LGBとTの人権を守れ、というのはその事だけをとればそれで良いだろう。

性別は自分で決める、年齢も自分で決める、日によって自分の性別は変わる、

というのは、それだけを取り出せば個人の勝手かもしれない。

LGBTQの後にはまだいくつも羅列されるものが有る。

PZN(幼児性愛・獣姦・死体姦)などだ。


自分は昔、性についてあれこれ考える機会が多く、幼児性愛についても考えた事が有った。

幼児性愛の人って、大変だなあと思った。

だって、その欲望を現実にしたら犯罪者になってしまうのだ。

現実に出来ないからといって、映像でガマンしようと思っても、

そのような映像や画像を所持しているだけで犯罪になるのだ。

じゃあどうすれば良いのか、想像して自慰行為をする以外に無いのか、

と考えて、「大変だなあ」と思ったのだった。

LGBTQの話はゆくゆくは、PZNの人権も認めろという話にもなるかもしれない、

また、日本と言う国の一丁目一番地で有る、男系系統の皇統を守る上での障害になるかもしれない。

既に、「天皇? もうそんなもん要らねんじゃね?」という人も居る。

「学問の自由が有るから他国侵略の為の研究をしている中国の国防7大学に協力をするが、

自衛隊の研究には反対するという学者も居る。

セックスとは楽しむための娯楽であるから、人に見せるのも当然の事だ、という考えも有る。

これは自分にとって必要なものだから、盗む権利が有る、という考え方はどうか。

自分にとって邪魔なヤツを殺す権利が有る。

教育を受けない権利が有る。

などなど、際限が無くなってゆく危険を感じるが、それについても、

際限など人権侵害であって不必要なモノだという事を言う様になるかもしれない。


自分個人の考えをいくつか最後に書いてみる。

「ポルノ」を現状の様に規制するのはおかしいと感じる。

禁止したり、モザイクをかけたりするのではなく、

見たい人だけが見られる場所に置きなさい、見たくない人が見えない場所に置きなさい、

とすれば良いだけの事ではないだろうか。

性器にモザイクをかけたポルノって、一体なんじゃそりゃ、という気がする。

ただポルノの弊害というものも有る、

オンナなんてこうやれば感じてしまって堕ちるのさ、

なんていう事を本気にしてしまっている人も居るのだ。


運動会で順位をつけるのをやめるべきだ、という意見が有るが、そういう経験、

それも子供のうちでしかなかなか経験出来ない事を経験するのも教育ではないだろうか。

あなたは運動は確かに苦手だが、他に得意な事が有るじゃないか、

というフォローをすれば良いのではないのか。

そうやって社会勉強するのも教育だと思う。

セックスはスポーツだ、セックスは娯楽だ、というのならそれで良いと思う。

けれど、それをやりたい人、見たい人だけが見られる閉じた空間でやるべき事で、

誇って他人に無理矢理押し付けてはいけないだろう。



何を守って、何を新しくするのか、を考える時、どちらかに偏らずに公平に考える必要が有る。

トランスの為に女性が恐怖を感じる様になってはいけない。

どちらかの為にどちらかが犠牲になる様な事はしない様に考えながら改革してゆく必要が有る。

どこまでも枠を外して良いわけではないだろうと思う。

そして最後に、正義の為ではなく、利権の為のポジショントークはやめて欲しい。

私利私欲の為に正義を掲げるのはやめて欲しい。



「セックス選手権」のスウェーデンでの開催が決定、主催者は「セックスはスポーツ」と主張
https://gigazine.net/news/20230605-sweden-sex-championship-sport/






左派脳      相手などどうでも良い人たち

意見の分かれ方      ポジショントーク

親と先生たちに



コメントなどはツイッターやメールでお願いします



@kawaihidetoshi をフォロー

 

日記のトップへ戻る

かわいひでとしホームページ

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 倫理・道徳へ
にほんブログ村