令和4年11月24日 ドーハ 悲劇から29年 |
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1993年、サッカーの試合をテレビで見ていた。 サッカーのマンガを見たり、自分でもちょっとやったりしていたが、 ルールなど、詳しい事は殆ど解っていなかった。 この試合に勝てば「わーるどかっぷ」つうのに出られるんだってさ、 ふ~ん、そうなん? で、わーるどかっぷって、なに? ワールドカップが何なのかも知らなかった。 「ドーハの悲劇」とは、後半ロスタイムに同点にされたことでそう呼ばれている。 相手はイラク。スター選手のダエイのヘディングで失点した。 一瞬の出来事で、上から金だらいが落ちてきた感じだった。 えええーーー?後半のロスタイムに同点にされちゃった! とすんげーびっくりしてしまったのだった。 けれど、今考えてみれば、あれは悲劇でもなんでもない。 サッカーでは普通に良く有る事だ。 サッカーというもの自体をまだあまり良く知らなかった時代だから悲劇と呼んだのだ。 こうして日本代表が初めて出場できるはずだったアメリカワールドカップは夢になった。 監督はオフトだった。 4年後のフランスワールドカップ。 予選では「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれた勝利が有った。 当時は「ゴールデンゴール方式」だった。 延長戦で先にゴールを挙げれば勝利、その時点で試合終了となる。 野人、岡野が不器用なゴールを決めたのだった。 今考えると、当時のフォワードはゴール前で自分にパスされるのを怖がっていた様に思える。 シュートを打っても入らないからだ。 そんな感じがひしひしと伝わって来る岡野のスライディングでボールをゴールに押し込んだ。 日本が初めて出場する事になったフランスワールドカップ。 まだサッカーの事を良く知らないものだから、「よし! 優勝するぞ!」とか言っていたのを思い出す。 なので岡田監督が目標を聞かれて「一勝一負一引き分け」と言ったので、物凄く驚いたのを覚えている。 三戦全勝じゃないんかい、と。 初戦はアルゼンチンだった。 名波がゴール前で下らないトラップミスをしたのをバティストゥータが見逃さず、 あっさりゴールを決められてしまった。 結局初出場の日本は三戦全敗だった。 試合後、スタンドに居た日本のサポーターが、青いビニール袋を持ってゴミ拾いをした。 そのことがメディアに取り上げられ、賛辞が贈られた。 それ以来ずっと、日本のサポーターたちは会場のゴミ拾いを続けている。 また、選手たちもロッカールームをピカピカに清掃する様になった。 素晴らしい事だけれど、いつも掃除をする事だけが賞賛され、試合では輝く事が無かった。 2006年ドイツワールドカップは黄金の中盤と言われたチームに期待したが、 オーストラリア戦では最後の9分間で3失点し、 2敗一分けで最下位。監督はジーコだった。 2010年南アフリカワールドカップは2勝1敗で決勝トーナメント進出するも、 引き分け、PK戦で敗れた。監督は岡ちゃんだった。 2014年ブラジルワールドカップは、 ザッケローニのコンパクトサッカーで大いに期待したが2敗1引き分けの結果だった。 2018年ロシアワールドカップは記憶に新しい。 ポーランド戦では、「このまま終了すれば日本が決勝トーナメント進出」 という状況で、責めずにボール回しをして試合を終えるという事が行われた。 そして決勝トーナメントのベルギー戦では2点先行したものの後半追いつかれ、 さらにロスタイムでカウンターを食らって敗退したのだった。 けれど、この頃からの日本代表は、安心して見ていられるチームになっていた。 勝てないまでも互角に戦える様にはなっていたのだ。 昔の日本代表はシュートを打ってもゴールに入る事は無く、 トラップすらまともに出来ないチームだった。 約30年経って、まだ「ワールドカップで優勝する」とは到底言えないが、 「ベスト4を目指す」と胸を張って言える様になっている。 そして昨日、ワールドカップ初戦のドイツ戦で、 後半でガラリと戦術を変更し、 びっくりする様なすばらしいゴールを2発決めて逆転勝利してくれた。 すごいなあと思う。 かつて、日本サッカー協会の会長だった川渕さんが、 2050年までにワールドカップで優勝する、と言った。 それも夢ではないかもしれない。 |
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