かわいひでとし日記
令和4年6月26日      ゲームをやらない訳      時間を大切に
 

昔、

つっても、結構昔です。

ゲーム機がスーパーファミコンだった頃です。

ある日、しみじみと思った訳です。

自分はなんと、自分の人生の時間を無駄に使っているのだろう、と。

ほんとに時間がもったいない、と。

それで一切、ゲームをやるのを辞めました。

それ以来ずっとゲームはしていません。

あ、ちょっとだけやったかな?

パソコンで電車でGOやったか、、、。

でも、殆どやっていません。

スマホでゲームした事は一度も有りません。


でもたまに、懐かしくなることが有ります。

昔やったシムシティって、なんか良かったなー、なんて思い出してみたりします。

あ、自分はシューティング系は殆どやらず、ロールプレイングみたいなもの中心でした。

提督の決断とかにハマってましたっけ。


ゲームする時間が有ったら読書したほうが良いですよね。

読まなくちゃ、と思う本が溜まっていたりしますし、映画も見ないで溜まり放題です。

読んだり観たりして、色々考える。

歴史の本を読んで、なんでこんな事しちゃったんだろう、とあれこれ考える。

でもねえ、ゲームはやっぱりゲームであって、自分の身にならないと思います。

パソコンでシムシティやるくらいなら、まあいいかな、とも思うので、

どうしようか迷っていますが、やっぱりゲームする時間が有るなら、

未読で溜まっている本と映画をクリアしないとね。




考えてみると、人生がゲームなのかもしれません。

リセット出来ない、長いロールプレイングゲーム。

ゲームの場合、「そういう設定になっている」だの、

「ポイントを増やして強くなる」だのという事が有りますが、

実際の人生には、「設定」なんて有りません。

ああすれば必ずこうなる、という事は無いのです。

ポイントを稼いで強くなるという事も有りません。

こうすれば必ずポイントが溜まるという事が無いからです。

自分で良い事をしたと思っても他人が認めてくれないと意味が有りません。

人生はリセットできません。自暴自棄になってめちゃくちゃやってしまっても、

人生は終わりません。

そこからそれを背負って続いて行きます。

解りやすく言えば、自暴自棄になって何かやらかしてしまったら、

刑務所に入るという人生が続き、出所した後の人生も続くのです。

自分が頑張ったのにゲームの設定がクソだからクリアできない、というのはゲームでの話。

人生はそうではありません。



ゲームをする時間が有るなら、人生を明るくする事に熱中したほうが良いですね。

勤務先で同僚たちと仲良くなって、なんでも相談できるようになる、

という様な目標を立てて、そうなるためにはああしよう、こうしようと考えて、

毎日を大切に生きる。

別に好きじゃない人だって、付き合って見ればそれなりに付き合える人はたくさん居ます。

あの人は○○が好きだと言っていたから、それについて、今度その話を聞いてみよう、

とか、なんかそんな風に仲良くしようと思っているだけで明るくなれます。


ああ、もうダメだ、と思ってもリセットは出来ないのだから、

ダメになる前に自省して、ゆっくり舵を戻していかなくてはいけない。

そうやって人生を大切に生きようと思ったら、ゲームする時間が有るなら、

自分の精神生活を豊かにする読書をしたほうが良いです。



自分が何かの不運に襲われたら、それは社会が悪い、他人が悪いのではなく、

それを招いてしまった自分が悪い。

結局、生身の人間とたくさん話をして、仲良くなれる自分を育てる事に時間を使ったほうが良いです。

上司に付き合って飲みに行くのも時間の無駄ではない。

ゲームより遥かに有意義な時間です。

人生には説明書も攻略本も無い。

時間を大切にして生きていきましょう。


そんな訳で、ふと懐かしく思い出した、昔やったゲーム。

観葉植物を育てるくらいの感覚で、パソコンでシムシティくらいやってもいいかな、

とも思いますが、読みたい本、読むべき本、観たほうが良さそうな映画が溜まっています。

自分はエアロビクスをやっているので、これは結構ゲームみたいなもんです。

汗びっしょりになって筋肉痛に襲われる有意義な時間です。


本を読んで、筋肉を鍛えるエアロビクスをやって、

さらに精神生活を充実させるだけで時間がいっぱいいっぱいかもしれません。



働くということ

はずかしい修行

アンチエイジングは積極的な自分


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