かわいひでとし日記
令和4年6月19日.     人と交わらないと狂っていく      人との交流

NTTの改革が話題になった。

基本リモートワークにして、出社は出張扱いにする、と。

このニュースが流れた後のニュースが印象的だった。

無関係な他人を巻き込む無差別殺人事件急増についてのニュースだった。

その被告へのインタビューで、何度聞いても、

なぜ他人を巻き込んだのか、の理由が引き出せなかった。

これについて専門家の分析として、

死にたかった、人生を終わらせたかったと言う、

人付き合いが苦手で仕事も長く続かず自暴自棄になった、

自分の事しか考えていない人間しか居ないと思っている、

自分は乗り越える為の方法が解らなかった、

当日または前日に決意した、

社会的な孤立を感じ、SNSで他人と自分を比べる、

社会への復讐心を抱く、

という事が挙げられた。

人間同士の繋がりが無く、他人に触れるのはネットを通してのみ。

上記の事を読んで、何か思い当たらないだろうか。

生身の人間と交わらない事で異常になってゆく、ということ。

そういう意味で、気軽にネットで在宅ワークなどと言っていて良いのだろうか、と思うのだ。



若い人に多いと思うのだけれど、時代が進んで技術などが進歩するのに合わせて、

人間の能力も上がっていると思っている人が多い。

しかし、そんな事は無く、むしろ逆だと思う。

歴史の本をたくさん読んでいて強く思うのは、昔の人は今より遥かに能力が高かったと感じることだ。

技術の進歩に反比例して、人間が劣化している様に思えてならない。

昔、日本経済が元気だった頃は、創業者社長がたくさん居た。

そういう人たちは、それぞれ哲学を持っていて、ただ利潤を追求するのではなく、

世の中の為に、国全体を豊かにする為に、倫理観、道徳、国家感を持っている人が多かった。

現在のサラリーマン社長は、自分の任期中にまずい事が起こらない様に、

目先の事にしか興味が無い様に見える。

国を預かっている官僚からして、自分の天下りの事を優先してしまっている様に見える。
「ゆとり教育」というものが失敗だったと言われている。

今の「働き方改革」も、後日失敗だったと言われるだろうと思う。

5時になったら仕事を終わって遊びに行こう、

と思いながら仕事をしていては中身の濃い仕事は出来ないのではないか。

自分の事、自分単体の事しか頭に無く、

自分が所属して自分を守ってくれている組織や社会や国というものには一切関心を持たない。

大事な仕事だと思えば残業もしようと思うだろうに、

時間になったら淡白にその場を離れてしまうような、社会への無関心さ。

結局この、社会への淡白さ、無関心さが積み重なって自分たちの首を絞めている様に思えてならない。

結局は昔の人が言っていた事が正しく思えてくる、という事になる。

自分を産んで育ててくれた親に感謝したり、先輩に感謝したり、

国をありがたく思ったり、年上の人を尊重したり、

学校や職場に行って挨拶して仲良くして、自分の時間を削って付き合いをしたり、

生身の人間と付き合っていかなくては結局自分たちの首を絞めるだけなのだと思う。

昔の人たちの言っていた事をもう一度敬意を持って考え直してみるべきだと思う。

新しいと良くて、古いとダメな訳ではない、ということだ。


NTTと逆を行く会社も有る。

HONDAなどは、出社して人間同士が会う事でモチベーションを上げる方向の様だ。

そのほうが良いと思いますけどねぇ、、、。


財布を拾ってネコババして何万円か儲かっちゃった、というのと、

交番に届けて、落とし主から「本当にどうもありがとうございました」と言われるのと、

人間として、どっちがシアワセなのでしょうか。




働くということ

はずかしい修行

人生は死ななきゃ終わらない


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