令和4年3月15日 理論だけでは塀は立たない 現場力 |
学力だけ有って教養が無い人間が役に立たないのはどうしてかというと、 空論を述べるから。 理論的に正しいのと、実際に使えるのとは別のことです。 理論的に正しくて反論できないのが最上位だと思ってしまう。 それよりも、実際に具体的に実施することができるほうが上位のはず。 それは、国際的に外交をする場面、前段階も含めて戦争をする場面、 構造物やモノを作る場面、人を教育する場面などで顕著ではないだろうか。 構造物を作るのに、頑丈で機能的で使い勝手が良いものを作るにはどうしたら良いか。 それは一番大事なのは設計でしょう。 完璧な設計をした構造物を作れば良いのです。 設計通りに作れば良いのです。 でも、ちょっと待ってください。 設計通りに作る、と言葉で言うのは簡単ですが、どうやって設計通りに作るのでしょうか。 設計図をコンピューターに読み込ませて、3Dプリンターで外形だけ精密に作る事は出来ますが、 ホンモノを実際に作るのは「現場」であり、人間です。 例えばコンクリートで簡単な塀のようなものを作るのを想像してみてください。 水平を計って、ミリ単位で計測して木で型枠を作るのです。 それをやるのは人間です。金槌で釘を打った時に少しズレてしまうのを計算に入れて作業するベテランも居れば、 それに気が付かない新米も居ます。 だから人員の配置から考えなくてはなりません。それでも誰かが休んだらそれも考えなくてはなりません。 湿気で板が僅かに曲がっているかもしれませんし、コンクリートの流し方で違ってくるということも起こります。 この現場感覚、実際にやる感覚というものは経験で培われます。 決して学力で解決できるものではありません。 設計図通りに作る、というのがどんなに難しくて大変なのかが抜けてしまっている空論を述べても意味が無いのです。 学力に全く意味が無いとは言いません。 努力の量の結晶ですし、知識でもあります。 でもそれは片肺飛行でしかありません。 知識は必要ですが、知識と知識を繋ぎ合わせて引き出す教養と、さらに現場力が必要なのではないでしょうか。 自分がまだ10代の頃からずっと、色々な所で言われていた意見が有ります。 大学改革についての意見で、入学するのが難しい大学ではなくて、 卒業するのが難しい大学にするべきだ、という意見です。 入りたければ誰でも入れるけれど、大学で勉強しないと単位もとれない卒業も出来ない。 大学でやる勉強は受験勉強の様なものではなく、もっと研究が必要な勉強という大学。 コピペしたレポートを出せば単位が取れてしまうわけではない大学。 4年のうちの最初の2年くらいに高校の焼き直しをやっているくらいなら、 高校を4年か5年制にして、研究しない人はそこまでにしたほうが余程良いのではないですか? もう何十年も「受験勉強の弊害」と言われ続けているのに、いまだに昔のままです。 キャリア官僚の世界では東大法学部卒でなければ人間ではないみたいな、学閥みたいな事になっていて、 その人達が最上級でそうでない人はダメだという事になっている様です。 その人たちがやっている空論に呆れる事が多くないでしょうか。 どうかしていると思いませんか? なんとかしたほうが良いんじゃないでしょうか。 なんでこんな事を書いたのかというと、 どこかのユーチューバーが自分が一番偉いと思って喋っているのを聞いたり、 テレビのコメンテーターが得意げに空論を喋っていたり、 キャリア官僚が国の事ではなく自分の保身を第一に仕事をしているのを見るからです。 これは知識を切り貼りしているだけで、教養と現場力が無いからではないでしょうか。 学力が有ると偉いわけでもないし、良いと言われている大学を出ると優れているわけでもない。 ジャーナリストや物書きなどの、いわゆる「知的な」職業の人で、 高卒の人や現場出身の人を何人か見ているけれど、その人たちは論理が上滑りしない現実的で具体的な話をしてくれます。 政治家でも役人や弁護士上がりの人と、現場を経験した人では随分デキが違う様に思います。 と、いうことで、なんか偉そうなことを書きすぎてしまって申し訳ないので、この辺にしておきます。 でもちょっと愚痴りたかったのです。 ブルーカラーのすすめ 教養とは何か たちの悪い嵐 |
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