令和2年1月25日 法的には?
法律と道徳
日本人は拾った財布をネコババしないという記事を読んで、
そのコメント欄を見ていたら、、、、。
結構多いのは、道徳の事と法律の事を一緒にする意見だ。
それは横領罪だからダメに決まっている、という様な意見。
道徳と法律をごっちゃにするのには、あまり賛成する気がおきない。
法律を軽視するつもりはないが、法律より道徳のほうが上位に有るべきこと、と思うからだ。
法律は都合が悪くなれば改正したりするが、道徳は普遍的なものだと思うからだ。
悪いことを、「法律違反だからやらない」、というのは寂しい。
「道徳に反するからやらない」であってほしい。
じゃあその道徳とは何なのだ、と言う人もいるが、
法典のような戒律が有るわけでもないし、四書五経が全て正しいと言うつもりもないが、
相手の身になって考えるだの、人の嫌がる事をしないだの、卑怯な行いはしないだの、
人として正しくありたいと思うような、ぼんやりしたいくつかの戒律は有るだろうと思う。
人を殺したら、殺人罪になるからいけない訳ではなく、それ以前の問題なのだ。
ネットを読んでいると実にいろんな事を言う人が居る。
飲食店で、ライスだけ注文して、無料の漬物で食っていたら、もう来ないで下さいと言われた、
これは法的にどうなのか、なんていうのも有った。
またそれを、弁護士が出てきて法的にはどうのこうのと書いている。
何を言っているのだろうと思う。
こういう面では、弁護士さんたちの営業は道徳を汚すと思う事が良く有る。
裁判で勝てる勝てない以前に道徳としてどうなのか考えてほしい。
嘘を言うのはよろしくない。
けれど、嘘を言うことで、相手を傷つけないだの、関係がうまくいくだのなんだのという場合も有る。
だから良かれと思って言う嘘は良いのだろうが、実はこれにも続きが有って、結局は嘘を言わなければ良かったと後悔することも多々ある。
結果はどうあれ、良かれと思ってしたのならそれは許してあげたいと思う。
要するに、道徳とは、「きれいな心」が判断するものだ。
これはやっていい、これはやってはいけない、ということを、心が、それもきれいな心が判断するものなのだと思う。
何かをする時は、あるいは、何かをしてはいけないのかな?と思った時は、
どうか、法律の事よりも道徳を上位に置いて考えてほしいものだと思う。
その判断をするためには、心をきれいにしておかなければならない。
お金の事と道徳がぶつかる場面は良く有ると思う。
道徳を優先してお金を損するのはバカな事だと思っている人が居るけれど、
それでは一体何の為に生きているのか分からない。
お金は大切だけれど、一番大切なものではない。
お金を損しても、良心に恥じない事をするのは当たり前の事なのだ。
自分は正しかっただろうか、道徳に反することをしなかっただろうか、
毎晩寝る前にでもちょっと反省してみようではありませんか。
こういう事をあれこれ考えるのが精神生活というものでしょう。
お金の話
精神の風が粘土の上を吹いてこそ、人間は創られる
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