かわいひでとし日記
令和8年9月21日      わがままになったと感じる社会      自分の都合と他人の都合
  
自分は昭和中期の生まれ。

子供の頃、大人たちに良く言われたこと。

他人を先にして自分の事は一番最後にしなさい。

男は黙って素早く食べ終わりなさい。

男が食べ物を美味いとか不味いとか言わずに出されたものを黙って食べなさい。

電車やバスで、男は立っていなさい。

電車やバスで、子供は立っていなさい。

話をする時は相手の目を見なさい。

他人には丁寧に接しなさい。


自分の生まれた家は武士ではなく百姓なのだけれど、

大地主で名字帯刀を許されていた家らしく、なんだか武家の様な躾をされた。

食事は質素なものを素早く黙って食べるのは武家の文化だと思う。

いえいえ、おフランスではお食事というものは会話を楽しみながら

ゆっくり頂くものでございますわよ、とか言われたら、

日本の武士はいつ敵が攻めて来るか解らないので、

質素に素早く食事を済ませる文化が有るのですよ、

とでも返すと割とウケが良いのかもしれない。


駅前の立ち食いそば屋で外国人観光客がゆったりお食事をして、

食べ終わっても座り続けるのを見る事が有る。

立ち食いそば屋を「そばレストラン」などと訳すからいけないのではなかろうか。

ここはレストランではなくソバヤなのだ、と説明したほうが良い。

ついでに言うと、そばをすするのは正しい食べ方で、

すするのは、空気を一緒に吸いこむ為で、それによって、熱をさまし、

香りを鼻の奥まで届ける為であり、さらっとしたスープも一緒に口に入れる為。

ワインのテイスティングなどでも空気を一緒に吸い入れる様な事をする。


また、電車に乗ったら男は立っていなくてはならない、というのは子供の頃からずっと、

大人になってもずっとそうしていなければならない気がして、殆ど座った事が無かった。

最近はさすがに仕事の後は疲れて、電車で座ったり、

階段ではなくエスカレーターを使う様になってしまっているのだけれど、、、、。

他人様を先にして自分を最後にする、というのも当たり前だと思っていて、

結局自分が割を食う事になったりもするが、男なんだから仕方が無い、

なんて思うクセが今でも残っている。

その他、誰かと会話をする時には、相手の人より遠くまで届く音量で話すのは下品な事だ、

などとも教えられた。

まあ、確かに大声で喋るのは下品な感じはするが、外国人にはそういう人が多く、

世界では普通なのか、と思ったりもする。

ちょっと話はそれるが、

西欧などでは貴族階級の文化が庶民に降りてきて定着した様な所が有って、

貧乏人だろうがみんなお食事はゆったりするもの、などと思っていたり、

そもそも働く事自体が労働者階級みたいで下品な事と、

労働者階級であっても思っていたりする。

それに対して日本という国は、

貴族階級ではなく武士階級の文化が庶民に降りてきているので、

質素な文化が定着している様に思う。

なので、おフランスではという出羽守に何か言われたら、

自分達はサムライの文化を継承しているのです、と言えば良いのではなかろうか。

サムライの文化と言えば、商人とかゼニカネを下に見る傾向が有る。

カネに貪欲なのは浅ましいとか、我先にと争うのは下品だとか、

武士は食わねど高楊枝とか、、、。

なので、金銭面などで自分だけが損をする様な場面になると、

自分だけ損をすればみんな平穏に収まるので、良かった、と思う事も多い。

だからいつまで経っても貧乏人なのだけれど、、、。


この、貧乏人のくせに上品ぶっている自分という生き物は、

色々な事を「下品だなあ」と思う事が良く有る。

ビルの入り口などに良く有る全面ガラスのドアなどに手をつく人が居るが、

ガラスにべったり手の跡をつけるのは本当に下品な事だと思ったりする。

電車に乗る時急いで乗ってささっと空いている席に座る人を見ても下品に思ってしまう。

そんな自分も、何十年も社会に揉まれて、ずいぶん現実的にはなったと思う。

それに最近は、仕事帰りはどうしても電車で座りたくなる。

幸い電車に乗る時間帯が昼前の空いている時間なので、いつも座っている。

そう言えば、昔ティップネスに通っていた時、

1階のスタジオから3階のロッカールームに行くのに、

みんながエレベーターの前に並んでいるのを見て、

恐いイントラのおばさんに、「階段使ったら?」と嫌味を言われた事が有った。

そりゃそうだ、運動しに来てるのだから階段使えや、と納得したりした。

今通っているコナミスポーツでは、

地下のロッカールームから3階のジムまで階段が81段も有る。

ずっと階段を使っていたのだけれど、最近は遠回りをしてでもエレベーターを使っている。

まあ、この年齢なのだから仕方が無い、という事にしている。



さて、太古の昔から年寄りが言う言葉に、

「最近の若い奴らは」というのが有る。

これは結局、年代差による文化の違いなのだろう。

この違いは勿論時代が変わったという事も有るが、

経験値の差によるものも有る。

そして昔は、年上の人間の言う事に従わなくてはいけないという感覚が有ったので、

若者も内心ではうるせーなと思いながらも、はい、と従ったりしたものだった。

そして今若い人間も、すぐに年齢を重ねて「最近の若いもんは」と言うようになるのだ。


そんな自分も最近の若いもんは、という違和感を覚える事が有る。

昔と比べて確かに、人間がわがままになった、という感じは強くしている。


SNSを見ていると、色々な話が流れて来る。

作り話を書く人も居るので、どれが本当なのか良く解らないが、

良く見るのはこんな話だ。

新幹線の指定席に座って居たら、

「子供が窓際に座りたいと言っているので変わって貰えませんか?」

と言われた、という話。

そんなもん、最初から自分で指定席買えや、という話だ。

そして、自分にとって子供は非常に大切で愛おしいものだが、

他人も同じに思っていてくれるハズだ、と思ってしまう。

昔は社会の中で、全くの他人が子供を叱る事は良く有ったものだった。

今ならいくら子供が悪い事をしていようが、「ウチの子に何するんですか」

とか言われてしまう。
  
それを言う前に子供がした悪さを謝ったほうが良い。

まあこれは女性脳と男性脳の違いという部分も大いに有るとは思う。

例えば、とても狭い道でおばさん達が横並びで喋りながらのたのた歩いている、

歩くのが遅いので後ろが渋滞してしまう。

すみませんが、ちょっと通して貰えますか?というと、

おばさん達は何故か怒る。

だってしょうがないじゃない、話をしているんだから、と。

そこからさらに、嫌な世の中になった、道でおしゃべりも出来ないんだから、

という話になってしまう。

こういうのを見ていると、日本人と外国人の違いに似ている事に気が付く。

イスラムの人が、良く言う。

まったく日本って国は、豚肉ばかり食べてどうしようもない国だ、

なんでこんな国が存在するのか、日本人に正しい事を教えなくてはならない、と。

じゃあ日本に居ないで国に帰ればいいじゃん、と言いたくもなる。


そして昨今は、「回りに気を使う」意識が薄れている様にも感じる。

東京の様な所に居ると、いつでも周りにいっぱい人が居るのだ。

道でも電車の中でも人がたくさん居る中に居ても、

全く他人を気にしなくなってしまっている様に感じる。

その大きな原因の一つはスマホなのだろうと思う。

電車で混んで来ても詰めない様なところ。

5歳児と同じ程度の全く周りを見ない様な行動をしてしまう。

スマホを見ていても良いが、時々は周りを確認するべきだ。

これだけ人間がたくさん居る中に居て、全くそれを意識しなくなってしまっている。

これが他人を下に見る事に繋がっている様にも思える。


さらに感じるのは「運命を受け入れない」様なところ。

夜行バスで隣に他人が座るのを嫌って、「相席ブロック」というのをやる人が居る、

という記事を読んだ。

2席予約しておいて直前に1席キャンセルする、という様な行動だ。

確かに気持ちは解る。隣にキモいおっさんに座られたら嫌だというのも解る。

けれど、だからと言ってバス会社に損害を押し付けるのはいただけない。

だってしょうがないじゃない、1人で座りたいんだもん、

というのはやはりワガママという事になると思う。

それだったら新幹線のグランクラスに乗れば良い。

それが高くて出来ないなら自分のせいなのだ。

「仕方が無い」と諦めて受け入れる態度が足りないように思う。


人生というものは、ひょんな事から勉強になる様な事も有る。

隣にキモいおっさんが座っても、話をしてみると良い人でとても勉強になった、

なんて事も有るのだ。いやまあ、その逆も有るのだけれど、しかしそれも運命で、

それも自分の修行になるのだ。

何が得で何が損なのか、やってみなければ解らないのが人生だ。


いいオンナいねぇかなあ、なんて思って一生懸命スマホを見ながら歩いていて、

自分と相性の良い女性とすれ違っても気が付かない、なんて事も有る。

回りに人間が居るのだから、少しは関心を持ったり気にしたりしたほうが良い。


歌舞伎を見ていると芝居の冒頭などで、こんなシーンが有ったりする。

街中で人に道をたずねる、そして名前も職業も自己紹介をする、

そして世間話をして、笑顔で挨拶をして別れる。

日本という国が同質性の高い国であったからこそ、

他人を信用して、他人に気を使う事が出来たのだと思う。

個性ばかりを優先して同調性を蔑ろにする教育をしたり、

金が欲しいから騙して奪う様な事が増えて社会が殺伐としたりして、

他人を警戒するだけ、他人を無視するだけの社会になりつつ有る様に思う。


ここに書いた色々な例は、結局は「自分の都合しか考えない」

つまり「わがまま」という事だろうと思う。

脳みそが半分しか無く、自分の事を考えるだけで一杯になってしまっている。

脳みその半分は自分、半分は他人を考えなくては社会生活が成り立たなくなる。

自分の都合だけしか考えない様なわがままな文化にしてしまうと、

結局は自分もイヤな思いをする事になる。

お互い様、と他人を尊重出来る社会を取り戻したほうが良いのではないだろうか。


そんな意味でも、親の躾け、学校での教育、そして、むやみに他文化を入れない、

という事がますます大事になっている様に思う。

教育と移民政策をしっかりしないと本当に取り返しがつかなくなると思う。









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