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令和7年6月29日. 若き日の遺産で楽しく暮らす 62歳から現在まで |
2015年くらいからだっただろうか、、、 なんだか体調が悪く、風邪かな?と思ったりしていたのだった。 それがだんだん悪くなって、 会社に行っても(自分1人でやっている小さな会社だったので) 仕事も手に着かずにずっと寝ていたりしたのだった。 2019年になるとさらに体調が悪くなって、近所のクリニックに行って、 風邪薬を出されたりなんかしていたのだが一向に良くならず、 吐き気までする様になり、しょうがないから近くの少し大きな病院に行ったのだった。 ちょっと行ってすぐ帰って来るつもりで、家の鍵もかけず、サンダル履きで病院へ行き、 検査を受け、検査結果が出るとすぐに救急車を呼ばれてしまった。 そのまま乗せられて東京警察病院へ運ばれ、すぐに手術をされ、入院になってしまった。 腎不全という事だった。 腎臓が不全なのだ。 え?じんぞう? 何それ、という感じだった。 全くノーマークで、腎臓の事など考えた事も無かったのだった。 腎臓と言う臓器は体内の毒素をろ過したりして尿を作って出す仕事をする臓器だ。 そして1か月以上入院になり、毎日透析をする様になってしまった。 たまたま持っていたスマホの中を探して、やっと1件友達のメールを発見したので、 連絡して、自分の家に行ってパソコンを取って来てもらったりした。 自分はメールでもなんでも全部パソコンでやる人なので、 スマホのメールも殆ど使わないのだった。 入院生活は辛かった。水分を制限され、食事も少ない。 とにかくずっと空腹だった。 夕食は19時で、それを食べると朝の7時まで何も食べられない。 真剣に脱走を考えたりするくらいだった。 そして退院。体重は65キロになっていた。(入院前は79キロくらいだった) そして透析をしなければならないので、 62歳になって一応年金を貰える年齢になっていたので、 会社をたたんで、年金を貰ってアルバイトをする生活に切り替える決断をした。 透析は1回4時間半、それを週に3回やるのだ。まともに仕事も出来ない。 という訳で、少し早い老後生活が始まってしまった。 けれど、良く考えて見たらこれで良かったのかと思うのだ。 あのまま病気をせずにずっと小さな会社をやっているよりも、 ずっと平穏で心静かな生活になったのだから。 商売をやっていると、金の事ばかり、金の心配をしたり、 金を稼ぐ事ばかりになってしまう。 それが一転、貧しい生活をする事で心静かに生活する様になったのだ。 朝早く起きてアルバイトに行き、昼前に帰ってきてからジムに行き、その後透析に行く。 帰宅するのは夜10時頃。警察病院を退院してからずっと今まで、こんな生活をしている。 これが思いのほか平穏で心地よい生活なのだと気が付いた。 ずっと行っていなかったジム通いも再開できた。 ジムに行ってエアロビクスに出て見たのだが、どのクラスに出ても全部気に入らなかった。 昔の様にたくさん走るクラスなど無く、細かいステップばかりやって 運動強度が低いものばかりなのだ。 かなり色々なインストラクターのクラスに出て見たが全滅だった。 じゃあ仕方が無い、自分でやろう、と思った。 レンタルスタジオを借りて、自分でやる事にした。 自分はエアロビクスインストラクターをやっていたので、1人エアロビクスを始めた。 そして1人でやるなら誰かやりたい人が居れば、とネットでぼちぼちと募集の様な事をし、 ぽつりぽつりと参加者が出る様になり、「メンズエアロサークル」が始まった。 男子の為の、シンプル動作で高強度、物凄くたくさん走るエアロビクスだ。 それから5年、メンバーは10人弱になり、メンバーはみんな、素直な良い子ばかりで、 本当に楽しくやっている。 貧乏な老後生活なのだが、とても平穏で、毎日が楽しく、本当に良い老後になったと思う。 人間というものは慣れる動物だ。 全く新しい環境や新しい生活になってもすぐに慣れるものだ。 たくさんお金を稼ぐよりも、あまりお金を使わない生活のほうが、 実はずっと楽なのだと気が付いた。 少ない収入でも楽しい暮らしが出来るのだと気が付いた。 今後たくさんお金を稼いで家を買って、という予定も無くなったので、 ずっと都営住宅に応募し続けた。 何度応募しても当らず、こりゃあいつまで応募しても当選する事は無い、 と思っていたやさき、とうとう当選したのだった。 当選した部屋は事故物件だ。独居老人が孤独死して後に発見された部屋だ。 3DKの部屋で家賃は3万弱。 事故物件でも、どうせ自分も孤独死するのだから、別に気にしない。 築40年の団地住まいは思いのほか快適だ。 きちんと自治会にも参加して、当番になると自治会費の集金だの、共用部の掃除だの、 近所付き合いをしながら楽しく暮らしている。 そして最近、都営住宅の家賃減免の手続きに行って来た。 身体障碍者で、さらに収入が基準以下の場合、大幅に家賃が減免されるのだ。 人工透析患者は身体障碍者1級に認定される。 そして、少ない年金を貰い、アルバイトをしている自分は家賃減免対象者なのだ。 これによって家賃がなんと、1万3000円になってしまった。 これは本当に助かるし、ありがたいし、、、、というか、 バカじゃないのかね?というくらい安い家賃だ。 2年毎の更新も無いし、ここでずっと、心穏やかに暮らしていって、 心静かに孤独死するのだろうと思うと、かなり気が楽になった。 人間の幸せはお金ではなく、平穏な暮らしの中に有るのだと思うのだ。 そんな訳で、生活は快適だし、エアロビクスは本当に楽しいし、 本当に楽しい老後になった。 若い頃からずっと強度の高いエアロビクスをやっていた。 くたばるまで走る激しいエアロビクスを週に10本以上やった上に、 頻繁に有るエアロビクスの大会にも出まくって、本当に物凄い体力だったと思う。 その体力が、高齢者になった自分の遺産として残った。 病院で色々な検査をするが、何の検査でもいつも、正常な数値しか出ない。 血管年齢も40代の数値が出る。 キツいエアロビクスをずっとやって、さらにインストラクターになって、 本当に良かったと思う。 インストラクターをやる事で、若い男の子たちと一緒に楽しくエアロビクスが出来る。 エアロビクスというと今ではオバサマ専用スポーツみたいになってしまっているが、 昔はそうではなく、体力の有る若い男女がやっていたものだった。 だから、強度の高いシンプルな動きでたくさん走るエアロビクスは、 とても男子に向いているのだ。 だからこそのメンズエアロなのだ。 貧乏だけれど、本当に楽しい老後生活になって、本当に有りがたい。 そう、ありがたい、という気持ちが正直な気持ちだ。 自分を育ててくれ、そして守ってくれた自分の祖国、日本に感謝する気持ちなのだ。 天照大神に感謝する気持ちなのだ。 国を守る為に戦ってくれた先人たちに感謝する気持ちなのだ。 そんな訳で自分はいつも夏になると靖国神社に参拝し、正月には初詣に行って、 天照大神に感謝をする。 天照大神の子孫である天皇陛下にも、強い敬愛と感謝の気持ちを持っている。 日本に生まれて本当に良かったと思う。 こんな素晴らしい国は他には無い。 百田尚樹氏も著作「日本国紀」の冒頭に書いている。 「日本ほどすばらしい歴史を持っている国は他には無いと、私は断言します」 と書いているが、全く同感だ。 これからの日本を守っていく若い人達には、 たくさん動いて体力をつけ、お金に振り回されない人生を送って、 この素晴らしい日本という国を守って行って貰いたいと思っている。 長い人生の間には大きなアクシデントが有る。 大きな病気をしてしまったり、事業に失敗して破産してしまったり、 けれど、そこで人生が終わる訳ではない。 そこからまた新しいスタートになるのであって、今までと全然違う生活になったとしても、 何が幸いするか解らないし、人間は違う環境になってもすぐに慣れるものなのだ。 人生は死ぬまで終わらない。 何が有っても前向きに明るく生きて欲しい。 それによって他人や社会や神様に感謝する気持ちも生まれるので、 他人や社会に感謝して恩返しする気持ちも生まれるものだと思う。 結局それが最終的な人生の目標になるのだろうと思う。 丈夫な身体を持って、誠実で明るい気持ちを持って、この国を守っていって下さい。 ![]() 人間は慣れる動物 「考える」と「やる」の違い 忙しさが糧になる 自分の事は自分でやる 大貧民の暮らし 赤いノートパソコン |
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