令和5年3月25日 人間の尊厳とは 命の炎 |
身体を使って何かをしている人。 スポーツでも、演劇でも、歌でもダンスでも何でも良いです。 「身体が覚えている」という感覚はきっと解ると思います。 この動画を見て、きっと感動して、我が事の様に感じられるのではないでしょうか。
白鳥の湖は、愛が叶わなかった事に絶望して身を投げる、白鳥が化身した女性の物語。 けれどそれは誤認であって、二人は来世で結ばれます。 何度も何度も練習して、この音の時は客席のあの場所を見て、 この音の時は床の板目をじっと見る、、。 練習した時のこと、本番で舞った時のスポットライトが脳裏に蘇る感覚は、 良く解ると思います。 絶望して身を投げる白鳥を演じたプリマバレリーナを演じた彼女の魂が はっきりと現れています。 大好きだった18代目中村勘三郎さんが突然入院する事になった時、 あんなに元気なのにどうして? と驚いたものでした。 入院の前日まで元気ににカメラの前で喋っていて、 退院したらあれがやりたい、これがやりたいと目を輝かせて話していて、 すぐ退院して来るのだろうと思っていました。 けれどそのまま帰らぬ人になってしまいました、、、、。 入院中、髪の毛は抜け、衰えた姿になった勘三郎さん、 芝居のセリフを口にしていたそうです。 忠臣蔵六段目の勘平のセリフ 仲間から「仏果(成仏)を得よや 早野勘平」と言われ、 「仏果とは汚らわしい。死なぬ、死にませぬぞ。 魂魄この土(ド)に留まって 敵討ちのおん共せいでおこうか」 勘平が誤認の為に切腹してしまう場面。 全ては仇討をする為、死が迫るなかで勘平が言うセリフです。 弱々しい声であっただろうけれど、勘三郎さんの脳内では、 舞台上で声を貼って謳っていたのだろうと思います。 病床の彼の眼には、眩しいスポットライトが見えていたはずです。 人間、年齢を重ねてくると、「俺ももうすぐ死ぬから」とか、 「残り少ない人生だから」なんて事を言う様になります。 実際にそういう年齢にならないと、冒頭の動画の感動は感じられないかもしれません。 やせ衰えた彼女の脳内では、眩しいスポットライトの光が見えてい事でしょう。 人間はみんな、年齢を重ねて老いていきます。 けれど、身体で覚えた事はずっと脳内に保存されています。 小学校の学芸会でも何でも良いですが、舞台に立ってライトを浴びた経験は有るでしょうか。 まぶしいライトの向こうに暗くうっすら客席が見えているあの光景は、 しっかり目に焼き付いているものです。 動画のプリマドンナも、病床の勘三郎さんも、姿は老いてしまっても、 その内側には熱く燃えている炎が有る。 「人間の尊厳」という言葉が有ります。 これは、この炎の事を言うのではないだろうかと思います。 若い時は自分が老人になるなどとは夢にも思っていないものです。 けれど、その時は意外と早くやって来きます。 老いてしまって、傍目にはもう生きていたってしょうがないよ、 と思うくらいになっていても、その内側には燃える炎が有るのです。 自分も高齢になってアルツハイマーになってから、 エアロビクスの音楽を聴かされたら自然と身体が動くのかもしれないな、と思いました。 衰えた老人を見る時、あの人は若い時はどんなだったんだろう、と、 是非考えて見てください。 |
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