かわいひでとし日記
令和5年2月16日.     パチンコの思ひで      昔さんざんやったのだ
 
パチンコ業界1位のマルハンが閉店ラッシュ 販社や遊技機メーカーなど連鎖倒産の恐れ
 =ネットの反応「潰れて困る奴おるの?」「普通に生活してる日本人には影響ないだろ」


パチンコ屋の倒産が相次いでいるという。

そろそろパチンコも絶滅に差し掛かっている様だ。


小学生低学年の頃だったか、父親の付き合いでパチンコ屋に行った時の事を覚えている。

自分も結構な歳なんで、あの頃はまだ電動ではなく、一発ずつ手ではじくやつだったね。

お菓子とか景品を袋一杯取って、父が喜んでいたのを覚えている。

パチンコを「遊技場」というのは、あの頃の素朴な形だった頃の事だろうと思う。


【動画】昭和れとろ手打ちパチンコ


高校生の頃はよく、学校をサボって朝からパチンコしてた事が有った。

あの頃はまだ、フィーバー機は無く、ゼロタイガーという、

ゼロ戦の羽が開いたり閉じたりするのにコーフンしてやっていたっけ。


【動画】レトロパチンコ【全26台】羽根物1981-1995年《ゲームセンタータンポポ》


フィーバー機が初めて登場したのは自分が20歳前後の頃だったと思う。

まだすごく素朴な機種で、デジタル数字が三つ並んでいるだけのものだった。

777が揃ってコーフンして
心臓麻痺を起こして死んだ人が居たとか聞いた事が有る。

大工の源さんという機種が出た頃が一番最盛期だっただろうか。

源さんは大当たりすると、あと2回大当たりするまで確変が続く機種だったので、

出る時はすんごい出たものだった。



同じころに登場したのが海物語。

これもさんざんやったものだ。

魚群が来ると、うぉおおおおお! と盛り上がったものだったねえ。

海物語シリーズは今でも有る、超ロングセラー台ですね。


一時期、ある機種についての怪しい裏技情報が出回った事が有った。

それは、電源を入れた直後だとすぐ大当たりする、というものだった。

それでパチンコ屋が「電源サービス」というのをやっていたりした。

希望する客の台の電源を一回落としてくれるというサービスだ。

結局、電源を切ろうが切るまいが、たいして変わらないのだった。


勝つと結構稼げた時代は「パチンコで食ってる」なんていう人も居たものだ。

「ゴト師」という不正をするプロが居たのもその頃だ。

一回だけ目の前で「ゴト師」を見た事が有る。

隣の台に居るおっさんが、針金を取り出して台に差し込み、ガチャガチャやっていたのだった。

今思い出すと、なんだか笑ってしまうほど、みんなで必死こいてパチンコをやっていたのだった。



なんであんなものを一日中出来るのか、不思議に思う人も居ると思うけれど、

要するに金が無いからなのではないだろうか。

最盛期だと大当たりが連ちゃんすると5万や10万、

凄い時だと15万以上とか取れてしまっていたのだ。

勝った時の事は良く覚えているが、負けた時の事はすっかり忘れていて、

金が無いからパチンコで勝つぞ!と思って行くのだと思う。

金がいっぱい有ったら行かないのだろうと思う。

大勝ちすれば給料1か月分くらい勝ててしまうわけで、中毒性がとても強い。

何時間もやって、大当たりが連ちゃんして、5回、10回、20回と続く時の、

あの不思議なトランス状態がカイカンなのではないだろうか。

あの不思議な感じがなんともカイカンなので、またやりたくなるのだと思う。


そして今、パチンコが終末期を迎えている。

今のパチンコは昔の様にバカ当たりしないようだし、本当にあと少しで絶滅するのだろう。

パチンコが無くなっても困る人は居ない、、、、けれど、ごく一部困る人も居るだろう。

けれど、昔の様に大勝ち出来なくなっているし、困る人は本当に少ないだろう。

警察との癒着も指摘されているし、

白昼堂々と賭博をしていても摘発されないのも不思議な事だ。

考えて見ると、フィーバー機が登場した事と、スロットが登場し、

さらに規制が厳しくなったのが岐路だったのだろうと思う。



最後にもう一回、あの不思議なカイカンを味わいに行ってみようかな、、、。

ただし、全然大当たりしなければ30分もかからずに万単位で負けて帰って来る事になる。

パチンコ屋が無くなるまでにもう一度だけ連ちゃんして何時間かカイカンを味わってみたい。





おもひでぼろぼろ

道の真ん中でガッツポーズをする

貧乏のズンドコ


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