かわいひでとし日記
令和5年1月17日      先生      熱意と愛情
  
小中高の先生たちを思い浮かべて見ると、

なんだか気に入らない人ばかりだった。

なんで学校の先生というのは、共産党みたいな人ばかり居るのだろうと思う。

小学校の時の担任はなんだかトラウマみたいになっている。

陰で自分の悪口を言っている様な気がして、陰険でイヤだった。

自分の家が学校への支払いが悪かったせいなのだろうか、と思ったりする。

全寮制だったので、普通の学校よりずいぶん高い料金がかかっていたのだ。

自分の精神状態が安定しないのはきっとあの先生のせいだと思ったりする。

考えて見ると、あの担任はあの時25歳だったのだから、

まあしょうがないのかなとも思う。

その小学校の園長先生は恐ろしく怖い先生だった。

何か悪い事をするとみんなの前に立たされてビンタされたものだった。

昔はそれが普通だったなあと思う。



高校の時の担任の先生は、国語の木村先生だった。

良い先生だったなあと思う。

木村先生の朗読がなんだかとても良くて、うっとりして聞いたのを思い出す。


「あめゆじゅとてちてけんじゃ」


というフレーズが今でも耳に残っている。

自分は東北弁には疎いのでイントネーションが正しいかどうかわからないけれど、

と言いながら、宮沢賢治の「永訣の朝」を情緒たっぷりに朗読してくれた。

本と言うものはこうやって読むものなんだな、と思った。

ゆっくりと、行と行の間までしっとり感じ取りながら読むのだな、と思った。

もう50年近く前の事なのに、

あめゆじゅとてちてけんじゃ というフレーズが今でもはっきり蘇って来る。


あの頃、彼女が「妊娠したかも」と言うので、

二人で木村先生に相談に行った事が有った。

なんだか、何でも話せる先生だった。

後日、結局妊娠はしていなかった事が解ってホッとしたのだった。


自分は小学生の頃から文学には興味が有って、詩を読んだり、

小説を読んだりしていたので、担任が木村先生で良かったなあと思う。


文学少年だった自分は運動が苦手だった。

ただ、長距離走だけは得意で2位以下になった事が無いほどだったけれど、

細かい動きをするスポーツはかなり苦手だった。

特に鉄棒が全然出来なかった。

中学の時、体育の時間に鉄棒をやって、全然出来なかったので、

毎日昼休みに1人で鉄棒の練習をしていた。

部活もバスケット部に入って毎日キツい練習をしていた。

通信簿で、体育はいつも2だったのだけれど、3年生の最後に4を貰ったのだった。

卒業式の日、体育の先生が自分の手をとって、

「良く頑張ったな」と言って涙を浮かべてくれたのを良く覚えている。

こっちも泣きそうになってしまった。

1人で鉄棒の練習をしているのを、職員室の窓から見ていてくれたんだな、と思った。


子供にとって先生というのは物凄く大きな存在ですね。

先生という仕事は、寝食を忘れて打ち込む様な仕事であって、

残業がキツいとか言っているのを聞くとちょっと違和感を覚えるのだ。


自分は男子新体操が好きなので、色々なドキュメンタリーなども見ているが、

宮崎県に有る高校の男子新体操部の顧問の先生はとても厳しい先生で、

体操のスキルの指導も厳しいし、普段の礼儀作法にもとても厳しい。

その先生は部活がいつも夜遅くまでかかるので、自腹でマイクロバスを買って、

部活後、生徒を一人ひとり自宅まで送っている。

すごいなあと思う。

心底愛情を持っていないと出来ない仕事だろうと思う。




自分が暮らしていた全寮制の小学校は今でも同じ場所に有る。

建物は新しくなっていて、生徒数も物凄く少なくなっている様だ。

中学校も今でも同じ場所に有る。

高校は校名が変わってしまったけれど、今でも同じ校舎で同じ場所に有る。



東京都中央区立宇佐美学園


板橋区立赤塚第三中学校


東京都立北野高等学校(板橋有徳高等学校)




宇佐美学園  全寮制の小学校

小学生という一人の人間

おもひでぼろぼろ


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