令和3年11月2日 お花畑には柵が必要 いざという時の準備 |
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京王線での事件 (走行中の車内で男が刃物を振り回し数人に危害を与えた上に放火した 仕事がうまくいかず、数人殺せば死刑になれると思った、とのこと) 電車が駅に緊急停止してから、車掌が「転落の危険が有る」からとドアを開かなかったとのこと。 どうかしている。 車掌からは即座に状況が把握できなかっただろうことは想像できるが、「転落の危険が有る」からというのは、平時と非常時の区別がついていないということ。 この、平時慣れしすぎて、非常時に行動出来なくなっているという「お花畑」状態の日本はなんとかしないといけない。 武力による現状変更を平気でやる国が近くに有るのに、「戦争は反対です、話し合いで解決しましょう」と言えるお花畑は少し直さないといけない。 いくら話し合っても無駄な事は「レーダー照射事件」の時にいやというほど思い知ったはずだ。 国という単位の大きな事から、個人の単位の小さなことまで、すっかりお花畑化してしまっているのが恐ろしい。 ビジネスをやっていて、儲かるから、と、敵対的な国に技術を流してしまうというのも、これまたとんでもない事。 その技術を使って日本に打ち込むミサイルを作るのだ。 中国は「軍民一体」なのであって、民間企業同士が技術提携すればそれはそのまま軍に流れる。 儲かる、うまい話で有っても、これはさすがにまずいだろう、と気が付かなくてはいけない。 また、気が付いても、まあ、大丈夫だろう、という無責任もいけない。 人間は、心穏やかに平和に暮らしていても、一定の線を越えたら「これはまずい」と留めるストッパーを持っていなくてはいけない。 その線をどこに引くかというのは、知識も必要だし、教養も必要で、曲がった事はしないという強い矜持を持って生きていなければならない。 日本の会社の技術者が、アルバイトのつもりで韓国などに行って技術を教えてしまう、というのも、一定の国家感を持っていれば、さすがにそれはまずいだろう、とストップがかかるはずだ。 商売をしている人でも、さすがにこれはまずいだろう、という一定のストップをかけられる心を持って商売をしなくてはならない。 さて、京王線の車内だが、もし自分がそこに居たらどうするか、考えておく必要が有る。 カラダに自信が有る人なら立ち向かって取り押さえる事も必要だろう。 もし誰かが立ち向かったら、カラダに自信が無くても協力すれば、取り押さえる事も可能だろう。 逃げるだけが能ではない。が、状況によっては逃げるのが最善でもある。 その時の判断も、普段から持っていなくてはならない一線についての認識ではないだろうか。 安全最優先が頭にこびりつきすぎて、ちょっと立ち向かえば取り押さえられる事を回避してしまうのもどうかと思うのだ。 この場合、相手が怪我してもかまわないのだから、飛び蹴りが得意なら飛び蹴りしてでも取り押さえる事を考えたらどうか。 そんな事を考えると、普段から格闘技の鍛錬でもしておかなくては、などと思う。 でもこれって、笑い話ではなく、そういう心と体の準備も必要なのではないか。 国も軍事力を強くする事で戦争を防げるのだ。 平和なお花畑はとても良いけれど、一線を画す柵が必要だ。 普段は穏やかでも、この線だけは超えないという覚悟を心に秘めて生きていたいものだ。 付き合いだから、とか断りにくいからとか、まあいいか、とかではなく、この一線だけは超えないという矜持を持って、 いざという時の為にも、ここ一番という時の為にも、心を綺麗にして、身体を鍛えておく必要が有る。 準備をしておきましょう。 エアロビクスのインストラクターは、救急救命心肺蘇生法の講習を受けて更新していなくてはいけない事になっている。 もう現役引退したのだけれど、近いうちに消防署に行ってまた講習を受けてこようと思っている。 今まで生きてきて、ただの一度も使う機会は無かったのだけれど。 誰でも受けられます。消防署などに問い合わせてみてください。心肺蘇生法の他に、応急手当やAEDの使い方も習えます。 思うだけで何もしない善人 人命は地球より重いか ギリギリな人々 |
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