かわいひでとし日記
令和3年5月22日      考えてみるべき問題      入管法改正案は深刻な問題
  

入管難民法改正案見送り、というニュース。

関心を持つ人はあまり多くないのかなあという感じがしますが、どうでしょうか。


入管の現場ではどんな事が起こっているのか知ると、複雑な気持ちになります。

国、とは、宗教とは、一体何なのかというところまで考えが至ります。



難民とは、

人種、宗教、国籍、 政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、

自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れた人々
のこと。

であるならば、迫害から逃れて来た人を受け入れるのは正義だと思います。

しかし、ヨーロッパなどでの難民の問題を見ていると、疑問に思う事が有ります。

それは、同じ民族が同じ場所で暮らすのが一番幸せなはずだという思いが有るからで、

違う民族違う文化の中で差別やトラブルが起きるのであれば、

本当はその人の国自体に援助をして、

安心して暮らせる国造りを助けるのが本来の姿で有るべきと思うのです。

そうは言っても今現在、祖国が独裁政権で迫害を受けてしまうのであれば、

まずは受け入れるしか無いのですね。

このようなどうしようもないケースは、その国を民主化する、

対立を抑える為の援助をするのが本質ですが、

緊急避難的に難民を受け入れるのは正しいと思います。

ただ、今、入管の現場で問題になっているのは、その様なケースではなく、

犯罪を犯してしまったから、借金をしてしまったから、喧嘩をしてしまったから、

などの理由で入国し、期限が過ぎても帰国しない場合などについてです。

期限が来ても、再申請を繰り返してそのまま何年も居続けるケースなどで、

さらにその間に日本国内で犯罪を犯してしまうというケース。

これらを支援する勢力は「人権」、「人道」という言葉を持ち出します。

では「人権」、「人道」が理由なら法を犯しても良いのでしょうか。


このことについて、是非見てもらいたい動画が有ります

この問題を考えるには、ぜひこれを見て考えてみて欲しいと思います。
この動画の中で話している事をさらに上から俯瞰して、公平な立場で考えるきっかけになればと思います。
https://youtu.be/pxfBVisBPmg?t=725



こういうことを考えると、国とは何か、宗教とは何か、

というところまで考えなくてはならなくなります。

排他的な一神教の宗教が対立を生んでいる様な気もします。

日本の宗教の様に穏やかに出来ないものか、なんて思ったりしますが、

そんな簡単にはいかない問題ですね。


難民、移民を受け入れるという事は、逆の立場に立つと、

日本が被害を受けるという話でも有ります。

2000年の間、ほぼ同じ民族が、

ほぼ同じ文化で暮らしてきて確立してきた文化が破壊される心配をしなくてはならなくなる、

という問題です。

外国人の犯罪率の高さという問題も有ります。

というように、この問題はかなり難しい問題だと思います。

「良い入国者」と「悪い入国者」とに分けて、

悪いほうはきちんと法を適用して実行するべきと思うのですが、

これすらきっちり分けられなくなっているのは「人権」「人道」と言う言葉が絡んでくるからです。

ただ、きちんとルールを守ってもらうという意味で、入国管理法の改正には賛成です。


ひとつの国の中で対立が有ったり、迫害が有ることについての大本の問題も考えなくてはならないけれど、

何十年かかっても解決しない難しい問題です。

簡単に結論が出る問題ではないと思いますが、どうすれば良いのか、考えてみるべきだと思います。





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