かわいひでとし日記

 

 

 

 

 

 


 

令和3年2月28日      ざまあみろと思う人々      脳が半分しか無い人々


犯罪のニュースとかを見て、カッとなって殺した、だの、

切羽詰まって金を盗んだ、だの、犯罪はいかんと思うものの、

加害者や犯人に同情する気持ちが湧いてくる事が多い。

あまり同情する気持ちが湧かないのは詐欺の様な犯罪。

しかしこれも、何かを勘違いして育ってしまったのだろうか、とか、

認知能力に限界が有るのだろうか、とか考えれば同情する気持ちも湧いてくる。

若気の至りとか、ついやってしまった、とか、色々考えてみると、あまり憎む気持ちも湧いてこないのだ。


逆に、その犯人なり加害者なりを物凄く、目を三角にして、恐ろしく上から目線で批判しまくっている人のほうにげんなりしてしまう事が多い。

もちろん、愛する人を殺されてしまった人などは、「ぶっ殺してやる」と思う気持ちもよく分かるのだけれど、、、、。


誰かが「失言らしきもの」をした事について、徹底的に、上から目線で、相手の全人格を否定して、これでもか、と批判している人を見ると、本当に嫌になってしまう。

批判している人に同意できなくなってしまう。

批判されている人に同情してしまう。


人を批判する時はぜひ、冷静に、そして、自省の念も込めて批判してもらいたい。

こういう発言が有ったのは許せないが、自分にも至らない所が有るから自分も含めて良くしていかなければならないと思う、というような言い方をして欲しいと思う。


SNSでこんなのが流れてきた。


おもしろいですか?

恐ろしく気分が悪くなる。

はじめに結論有りき、で、なんでもかんでも全否定する意見には全然賛同できない。

一人の人間として、法律の前に道徳が有るべきでしょう。

はじめに結論ありき、はじめに憎しみありき、で正論を暴力的に振りかざすのには賛同できない。

相手への同情も込めて、自分への自省を込めて、落ち着いて批判出来るのが大人の態度。

自分の結論や憎しみだけで自分の脳が占められてしまうのではなく、脳の半分は他人の事情を考えてみるスペースが必要だ。

自分の感覚だけで自分の脳が占められてしまってカタチだけの正論を振りかざす人をIYIと言うのだろうと思う。

落ち着いて、余裕を持って、他人の気持ちになってみて、俯瞰して、自省と代案を持った上で他人を批判したいものだと思う。






右と左の戦い

精神の風が粘土の上を吹いてこそ、人間は創られる




 
 


 

 




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