令和元年6月2日 若者の憧れ
将来、進路、計画、憧れ
大学生くらいの若いもんと話をする機会が多い。
というか、自分と同年代の人間はじじむさくて話をしちゃあいられない。
若いもんに聞いてみるのは、今何に熱中しているか、だの、趣味は何か、だの、
将来どんな事をしたいと思っているのか、だの、そんな事だ。
聞いてみると「?」が返って来る。
なので、もう少しかみ砕いて、「何するのが好きなん?」と聞いてみると、
「服とか買い物とか」
と言うのであった。
なんだよそれ、服とか買い物とかって、、、、
をじさんは悲しいよ。
服とか買い物とか、、、、、
例えば自分よりもっと上の世代だと、学生の頃は政治運動に熱中していた世代がいたりする。
ヘルメットかぶってデモに行っていた人たちだ。
自分たちの世代は、「人生について語る」のがトレンドだった。
「愛ってなんだろうね」とか、わけわかんない事言って明け方まで語り明かしたりしたものだった。
それがどうだ、「服とか買い物とか」って、なんなんだよ、、、。
多少は気の利いた子だと「ボルダリング」だの「スノボ」だのと言う。
それならまあいいよ。
「バンドやってる」とか言うならまだいいけどさ。
服とか買い物とか、って、、、
もうちっとこう、アカデミックな趣味は無いのかね、しかし、、、、、。
まあ、いいか、、、、。
いいけど「服とか買い物とか」って、なんだよ、ほんとに、、、、、
しかし、考えてみると、若いと言うのはそういうものなのかもしれない。
ヘルメット被ってデモに行っていた連中だって、「安保反対!」と叫びながら実は、日米安全保障条約など読んだ事が無かったのだ。
読んだ事も無いのに反対していたのだ。
だから、まあいいか、なのだが、、、、
服とか買い物とかだけは禁止にしてもらいたい。
それ以外なら許す。
自分が中学生の頃、なんと言っていたかというと、
「貧乏して苦労したい」と。
ほれみろ、思っていた通りになったではないか。
服とか買い物とかではなくて、たまには人生でも語ってみてくれ。
願望や希望の全体像と、その方法を区別していくのが大人になるという事なのかもしれない。
方法を目的にしないで、たまにはぼんやりとでも、その全体像を考えてみてはどうだろう。
モノを作る、という目的は、それが美しいからとか、便利だからとかであって、
作り方のスキルは目的ではなく方法なのではないだろうか。
「金持ちになる」のは目的ではなく、方法なのではないだろうか。
愛情をカタチにするためにお金が必要なのだ。
まずはその、愛情について考えてみてほしいものだと思う。
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