かわいひでとし日記
令和5年12月19日      エンタメとは      日本の凄さ
  
観て面白いと思う演劇や映画とはどんなものだろうか。

映画を例に考えて見ると、これは決して小難しい事ではなく、

もっと平易で単純な事の様に思える。


面白い映画はこうやって作るのだ、と世界に知らしめた日本映画が有る。

その代表が黒澤明監督の「七人の侍」だ。

また、「羅生門」や「用心棒」「隠し砦の三悪人」なども有る。


毎年麦が実ると盗賊が来て全て奪われてしまう村の百姓たちが、

自衛の為にサムライをボディガードとして雇う事を決める話が

「七人の侍」だ。

村の代表二人が宿場町に行ってサムライを探すのだ。

あの人はどうだろう、と言って話をすると断られ、

こりゃあもう無理だ、百姓がサムライを雇うなんて無理に決まってる、

と思ったその時に町で事件が起こるのだ。

それをきっかけに、1人、また1人とサムライを集めてゆく。

この過程が実に面白く、「そうか、面白い映画というのはこうやって作るものなのだ」

と、強く思ったものだった。


また、「用心棒」では、ある宿場町では2大勢力が対立している。

そこにふらっと現れた浪人が非常に腕の立つ男だった。

この2大勢力が対立する構図の中間に、「めし屋のおやじ」が存在し、

浪人を色々とサポートする。

これだ! と思わず叫びたくなる設定なのだ。

単に対立を描くだけではなく、その間に立つ者を存在させることで、

これほど話が面白くなるのか、と心底感動したものだった。


戦国時代、アルバイトとして兵隊をやったデコボココンビが、

負け戦でボロボロになって敗走して来た帰り道、ふとした事から、

大量の金塊を見つけてしまう、という「隠し砦の三悪人」も、

本当に心をくすぐる面白さが有る。


要するにこれらの面白さというのは、昔から有るおとぎ話の面白さなのだ。

演劇には「プロット」という概念が有る。

こうしたからこうなった、という面白い組み立てなのだ。

池に斧を落としてしまったら妖精が出て来て、あなたの斧は金の斧かと聞く話。

正直に金ではなくボロい斧ですと言った為に幸運を手にする、という様な、

本当に素朴な面白さなのだ。

現代の映画にはこういう作り方の教訓が活かされているものがたくさん有る。

最近見た「ゴジラ -1.0」では、木造船に乗る人間が4人設定されている。

船長と学者と若造と主人公。

これが話を面白くする。

また、映画を観ていて心が動く要素の一つに「オマージュ」というものが有る。

以前あった作品を連想させるカットとか、同じ構図とか、「これはあれだ!」

と思って心が躍るカットを入れるのだ。

これは不思議なもので、平たく言うと他人の映画のマネをしてみせる、

という事なのだけれど、これがどうしてこんなにも心が躍るのだろう、

と自分でも不思議に思う事が有る。

「ゴジラ -1.0」にもたくさんのオマージュが含まれている。

1954年の第1作への、ジョーズやジュラシックパークなどへの、

たくさんのカットが含まれていて、心が躍るのだ。

これがどうして感動するのか、その心の仕組みが良く解らないのだけれど、

ああ、いいなあ、と思うというのはとても大切な事だと思う。



さて、今から数百年前の中世や近世の時代、日本には庶民向けのエンタメが存在した。

同時代のヨーロッパにも優れた芸術が有ったのだけれど、それは皆、王侯貴族の為のものだった。

しかし、日本では、特に江戸時代になると、一般庶民が劇場に観劇に行ったり、

本を買って読んだり、旅行をしていたりしたのだ。

これはヨーロッパから見れば驚くべき事だ。

一般庶民はそもそも識字率が低く、文字など読めないのが普通だった時代に、

日本では庶民が本を買って読んでいたのだ。

そして、庶民向けのエンタメが非常に発達していた。

歌舞伎や文楽、落語などがその代表だ。

こんな国は日本以外に無かったのではないだろうか。


例えば歌舞伎を例にすると、涙をさそう悲しい物語や奇想天外なアクションもの、

ほのぼのと楽しい人情劇など、実に様々な分野の演劇が存在していて、

そのプロットが実に巧みなのだ。

恩義の有る主君の息子が指名手配になり、それを捕らえて首を差し出せ、

と命じられた侍が、苦渋の末、自分の息子を殺めてその首を差し出す、

首を検分する侍もそれに気が付くけれど、その心を察して見て見ぬふりをする、

と言う様な優れたプロットがたくさん存在するのだ。

演劇というものは、こうやって作るのだ、というお手本がたくさん有るのだ。

そしてそれが、全部、一般庶民の為のものだった、というのだから、

驚くほかは無い。

日本って、凄い国だなあと思わずにはいられない。

これらの歌舞伎は、例えば「どういう芝居なの?」と聞かれて、

ストーリーだけ話しても、「なんじゃそりゃ、くだらない」と言われてしまう様なものなのだ。

ストーリーはハチャメチャでも、演出が非常に優れていて、実際に観ないと良さが解らない。

要するにそういう事なのだ。

小難しいものが良い訳ではなく、ただストーリーだけ話してみれば、

ひどく単純な内容だからこその面白さなのだ。


落語などでも、実に楽しい話がたくさん有る。

うだつの上がらない道具屋の亭主が市場からボロい太鼓を仕入れて来て、

奥さんに、またそんなもの仕入れてきやがって、と怒鳴られる。

けれど、その太鼓を大名が大金で買ってくれる事になり、

それみやがれ、びっくりして座りションベンなんかすんじゃねーぞ、

と売って来た300両を奥さんに見せる、という本当に楽しい話の数々。


歌舞伎や落語を見ていて、本当に日本のエンタメって凄いなあ、とつくづく思うのだ。


そんな訳で、ハリウッドの映画がどんどん小難しくなってつまらなくなってしまった、

と言われる中、日本映画がアメリカで素晴らしい興行成績を上げているのは、

江戸時代から続く日本の演劇の伝統が有る、という事なのだと思う。

ハリウッドでは何年か前からポリコレの嵐が吹き荒れ、

不自然な配役、不自然な設定をし、さらに話を複雑にして、

どんどんつまらないものになってしまっている。

最近、アメリカではその反動が起こっているところだ。

エンタメは面白くなくては意味が無い。


映画を作りたい若い人は、まずは黒澤明の映画や、小津安二郎の映画、

そして古典落語や歌舞伎をじっくり鑑賞するところから始めたら良いと思います。







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映画の見方


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